9号館 A:歴史的記念物の展示室1

 

9号館では当時使用していた電卓やパソコン等の個人的に思い入れの強い古い物品や歴史的に注目すべき物品と思われるコレクションをご紹介していきます。

 


カシオ ポケットパーソナル関数電卓 fx-10

納戸を整理していましたらちょっとすごいものを見つけました。

カシオのパーソナル関数電卓fx-10です。

この電卓、日本初の関数電卓ではありませんが1974年に発売されたポケット型のパーソナル関数電卓として初のモデルだったはずです(8桁表示、10関数計算機能つき)。

さすがに外部電源は見つかりませんでしたが裏蓋をあけたところ電池が入れたままで一本が液漏れしていました。さほど腐食は進んでいない様でしたので電池端子(マイナス側)を電動ポリッシュで研磨し、取りあえず中も確認しまましたところ内部に液漏れは広がっていませんでした。

本体を開けたついでに内部の写真も撮っておきました。

NEC製のμPD175Cと179Cの二つのプロセッサが確認できます。一通り内部の状況をチェックしましたが異常は確認できません。

とはいえコンデンサー等の劣化は外見ではわかりませんが。

スイッチが相当固くなっていましたので電池を入れずに何度か軽くなるまで慣らしました。

さてもう一度カバーを戻し、電池入れてスイッチオン。

蛍光表示管には桁半分の□(ゼロ)が点灯。まだ生きてました。

さてLog10を計算させましょう。2秒ほど?で答え1。

全く忘れていましたがこの計算機の面白いところは計算に少し時間がかかり(致し方なし1974年のCPUです)その間は表示管の全桁がスロットマシンの如く目まぐるしく回るように点滅するのです。

「必死に計算してますから」と言わんばかりに(お見せしたいくらい:笑)。

今では瞬時に答えがでる簡単な関数計算ですが私はこのfx-10好きだな~。

 

2015.06.03 追記

一眼レフカメラ PETRI V3が見つかった古いライティングデスクの中に純正ACアダプターがありました。

追加写真を2枚アップします。

 

内部へアクセス

内部構造 1

μPD175C


fx-10は八桁表示

追加 AD-4145

 

 

追加 AC電源で



Mac OS X Public Beta

完全上位互換、強力なメモリ管理とプリエンプティブマルチタスク、システムによる作業の自動処理等と夢のOSとして開発が進行していたMac OS8 (System 8)Coplandが頓挫した後、Apple経営陣の迷走と経営難といった危機的状況から現在のAppleへの第2の礎を築いたといっても過言ではないMac OS X。

この間の経緯やOS仕様は今更ここで記すまでもありませんがAppleを追い出されたジョブスが復帰してその開発を指揮したUNIXベースのOSです。

2000.09.13にパブリックベータ版が世界で同時リリースされましたが、日本は翌月10月21日に遅れて配布(有償配布で3500円)されましたがちゃんと専用日本語変換インターフェース「ことえり」が同梱されていました。

これは同日朝、新宿の高島屋前広場に並んで受け取ったものです。

当時広場前には長蛇の列ができたのを記憶しています。

帰宅後すぐメインPCのPower Mac G3 ADP Grafphicに入れました。

Macファンが待ちに待ったマイルストーン的な一大イベントでした。

最後の写真は翌年2001.03.24にリリースされた正式版Ver.10.0 Cheetah。

以前は音楽に関する名称がMac OSの開発名でしたがここからネコ科の動物名がつけられていきましたね。

 

2017.08.01追記

そして今は山の名前に変わっていますね。

 



BeOS

AppleのSystem8:Copland開発中止が決定された後、Macintoshの次世代OSが何になるのか気をもんでいたMacファン。

ドイツのΩ社のCOSという完全上位互換OS(あれは何だったのでしょう)の騒動も今となっては懐かしい……。

その中でAppleで開発責任者まで務めたガセーが起こしたBe社が完全な独自コードを使い開発を進めていたBe OSがその最有力候補に挙がった時期がありました。

これは1996年暮れに個人向けに無償配布されたR8(8.3)と翌年に配布されたPreview Releaseです。


初めて手にしたR8はMacのHDDに専用パーティションを作り、そこにインストールするとスタートアップ時にMacOS、BeOSを選択できる仕様でした。

Editorは日本語入力対応化されていましたがデバイスドライバーはほとんどなかった記憶があります。

それでもまさに目から鱗がおちる様な強烈な印象を与えたOSでした。

Power PCで処理速度は速くなったPower Macでしたが、期待のOS8Coplandが頓挫し、急場しのぎのOS9から完成形のOSXが日の目をみるのはまだまだ先の時代です。

さっそく中古のPower Mac8500にインストール。Power PC604eカードに交換したこの8500は本来は動作確認外となっていましたが動きました。

デモではディスプレイに複数のウインドウが所狭しと開き、その後ろの一つでは小さなスーパーボールのような球がウインドウ内を飛び跳ねている…......。

「げっ、こんなに開いてもクラッシュしない!これは侮れん」と。

Preemptive Multitasking OSの威力をまざまざと見せつけてくれた至福の時でした。

懐かしい時代です。

 

 

これはASCIIのMac Power 1998年1月号特別付録「Be different」。

同梱されたBe OS PR2:プレビューリリース2の簡単な解説書です。

この同梱されていたPR2を現在家宅捜査中(笑)

 

Be社と独自開発したPower PC 603eデュアルCPUマシン「Be BOX」のOSとしてスタートしたBe OSの開発経緯、Be OSの現状スペックの解説が前半に記され、後半には同梱PR2の機能説明と市販アプリケーションがまとめられていました。

Macファン待望の夢のOS 8「Copland」開発断念後、マルチプロセッサー、プリエンティティブマルチタスクにメモリー保護を搭載する待望の新Mac OSのベース候補としてAppleを追い出された創業者 Jobs率いるNext社の「OPEN STEP」との熾烈な選定合戦に敗れ、結局消滅してしまったBe社とBe OSの顛末は当然ながら書かれていません。

市販OSとしては道半ばで消えてしまったこのBe OS。当時からの熱烈なファンの復活待望もあってか今も形・名を変えて開発が継続されているようです。

 

Copland計画の消滅、ドイツオメガ社のCOSのうたかたの夢と失意の連続でどん底にあったマックファンに一時ながらもプレビューリリースデモでマックの近い将来への夢を与えてくれたB-OS。

OS-X(10)の登場まで待てる気力がでたのでありました。

 

 


Macintosh Color Classic Ⅱ

整理中の納戸からColor Classic Ⅱ(Parforma 275)が出てきました。

1993年発売の一体型Macの初カラー版であったColor ClassicのCPU/搭載RAM容量の強化版です。これが自身の初Macでした。

まさかもう動かないだろうと思いながら起動させたところあのジャーンという起動音は出たものの起動ディスクが不明という?FDマ-クが点滅。

まだ内部電池はいかれてないんだと思いながらも内臓HDDがいかれてるのかな?と箱に戻そうとしましたらその中に20Gの外付けHDDが.........。

そうだ、外付けHDDの方に起動ディスクを振り替えたんだっけと思い出し繋いで再度チャレンジ。

キーボードのCボタンを押しながら再起動を試みました。

Mac OSの顔とともにあのアイコンパレードが始まり、うーんエラーでるかな?とみつめていましたら「ポ-ン」。出たか拡張機能エラー?と思いきや時計の設定が正しくありませんとの警告でした。取りあえずそのまま正常に立ち上がりました。

そういえばシステムが不安定になること覚悟であえてアイコンパレードで何個アイコンが並ぶか競うむきもありました。アイコンパレードもドキドキゲームの雰囲気に。

 

マックライトⅡ、Excel4.0、Netscapeとか.........

うわー、これで仕事してたんだと絶句。おお、Hypercardも残ってる。

当時まだまだRAMは高価でしたからRAM DoublerとかSpeed Doubler、機能拡張コンフリクト解決ソフトのConflict Catcherは必須でしたね。

このColor ClassicⅡ、CPUは本来33MHzの68030でしたがSonnet社の66MHz 68040アップグレードカードを搭載しています。OSはSystem 7のJ1-7.6.1。

そうそうカラーディスプレーは10インチのトリニトロン管でした。

記憶よりも大きな筐体でしたが置いとくだけで絵になるデザインですよね。

ファイルの開閉もアイコンがくるくる回りながら拡大/縮小してオープンする小技の効いたフォルダーアクション。これ気に入ってたんです。

今のPCは最新Macも含め機能重視のSimple Interface/Flat Designが主流。

こういったお遊びはどんどんなくなってしまうんでしょうかね?

 

2015.03.28追記

インストールディスク類の保管場所が判明。写真をアップします。

 

立ち上がりました

当時のパンフ

アプリケーション

Instol Disk

Application

 

 

システム情報

Instol Disk

Fonts

Sonnet PRESTO

漢字Talk 7

Newer 10baseT network card



iPod

iPod nanoやshuffleの製造が終了し市場在庫のみとなったニュースが。

 そこで当館も活躍してくれた(まだまだ現役の)iPod類をご紹介します。

 

 

iPod mini 4GB 

2004年に発売された初代ミニ。

色はシルバーです。

さすがに今ではバッテリーの消耗が早くなってますがまだ動作中。

それまでiPodのデザインが使い勝手重視というか今ひとつ気に食わず、MP3プレイヤーのRioのほうがまだまだ格好いいとRioを使い続けていました。

そんなところに発表されたこのMiniはアルミ削り出しのクール感溢れる5色のボディーとスタイリッシュな手のひらサイズデザインでデビュー。米国本国では発表とともに品薄になる程の人気を博して日本発売が延期される事態になり「これはゲットしないと」とアップルストアに予約をいれました。

その後容量を6ギガにアップしたタイプも発売され、さらに小型になったnanoの登場によって1年強で生産は終了になっています。

 

 

iBeam

当時iPodのコネクター類を利用して機能を付与するガジェットが幾つも発売されました。

iBeamというこの2つのカプセル状ガジェットは短い方が高輝度ビームライトユニットで長い方がレーザーポインター(赤)です。

上部のイヤホンコネクターに刺し、本体のダイヤルジョグでオンオフが出来るものです。

会議でポインターが見当たらない時、胸ポケットに入れたiPodをやおら取り出しこのユニットをつけてプレゼン開始。液晶画面にはカンペのメモも表示して、出来るビジネスマンの必帯アイテムに(嘘)。

片や思わぬ停電や災害時には慌てずに高輝度ユニットを取り付けて暗闇の迷路となったビルから皆を誘導しながら脱出という使い道も。これは結構マジな話で火災が発生したビル内からTimexのインディグロナイトライド発光文字盤腕時計で床を照らしながら脱出して九死に一生を得たという話もあって、セットで販売(ホントか..........)

 

高輝度ライトユニット

 

 

レーザーポインターユニット

専用携帯ポーチ

 

 


IPod 5G 80GB

続くは2005年に発売された第5世代iPod。80ギガのHDDを内蔵しており携帯型の外部記憶装置としても利用出来ました。

 

 

 

 

 

 

 

iTalk

5Gの内蔵大容量HDDを活用したガジェットのひとつがこのiTalk。

本体下部のDockコネクターにこのユニットを差すと本体は自動的にボイスメモモードに。本体のジョグダイヤルだけでなく、ユニット真中のボタンで即座に録音オンオフが可能。

録音中は赤いリングが点滅します。

ICレコーダー的な利用も。

iPodは音楽聴くだけじゃないんだぜ...........なんてね。

本体にもマイクは内蔵されていますが指向性マイクも接続できました。

同じDockコネクターを持つ2G以降のiPod nanoでも利用できますが本体デザインはご覧の通りiPod5Gブラックと統一されています。

 


2021年夏の断捨離パート1

15年のもの間、機種交換やら外部装置追加等で今ではどれがどれのケーブルかも判らないちょっと危険な混沌状態だったPCデスク下の断捨離を思い切ってこのコロナ自粛時に決断しました(5年前にも掃除機だけは掛けたんですけどね)。

ケーブルの半数は不要と撤去、そして出てきたのはまたまた綿埃(危ない、危ない)と古いマック関連の箱類、そしてでかいスピーカでした。

 

 

Mac OSの変遷①(なんてね)

先にMac OS Xの誕生までの苦難の道のりと当館館長自身の思い出をつづりました。

この本格的なメモリ保護・プリエンプティブマルチタスクOSの誕生まではシステムクラッシュに泣きながらも使い続けたMacの旧シングルタスクOS群。

それでもこれらOSバージョンアップの都度マックシステムは徐々に安定してはいったですが........。

 

Jobs の復帰によるOpen Stepをベースとした新Mac OSの開発マイルストーンとして「Rhapsody」となずけられた次期新OS 9のリリースが言及されましたが当時最終完成版とされるOS Xの中間プレビューリリースといった位置づけとなると聞かされていたものの結局これはサーバー向け専用OSとしてリリースされ、個人マック用OSとしては提供されませんでした。

そんな中、写真のOS 9は旧OSと次世代OS Xとを繋ぐ橋渡しを任された様な新パッケージを装いながらも結局は旧システム系統最後のバージョンという立ち位置で、進化しながらも結局メモリ保護やマルチタスク搭載はOS Xのリリースまで先延ばしに。

System7からMac OS Xまでコンマ刻みのバージョンリリースが繰り返されたのはこの期間のApple社内でのOS開発の混乱ととマックファンのつなぎ止めという伏線が見えてくるのでした。

 

 

Mac OSの変遷②

そして以前取り上げたプレビューリリース版の有料配布を経て華々しくリリースされたOS Xとそのメジャーアップデート版のパッケージ群です。

これらネコ科の動物の名前を付与されたメジャーアップデート版パッケージは今とは異なりすべて有料販売しかされませんでした(まあ昔と違ってお手頃価格での提供とはなってきてましたが)。

 

当館長のMac熱もここまで......

泣く泣くWindows側に寝返るのでした。

 

 

Harman Kardon SOUNDSTICKS

昔マック用に購入したスピーカー。

ご覧の様にすべてクリアー樹脂で構成された(外部電源ボックスまでもスケルトン、コード類もトランスルーセントな乳白色で統一されてます)独特なデザインは音響工学に基づいたものとか.....。

両サイドの縦型スピーカーはサテライトスピーカーで個々4つのフルレンジ小型スピーカを縦に並べて内蔵、バススピーカー的な中央のドーム型本体と対となって立体的な2.1chのサラウンド効果を得られる様になっています。

中央のメインユニット内には使用中には高輝度のブルーLEDが一個点灯して暗い部屋においてはクリヤー本体内が淡くブルーに輝きます。まあ電源消し忘れの防止機能もあったんでしょう。サテライトスピーカーは光りません(笑)。

この美しいデザインのスピーカーはNYの現代美術館MoMAにも収蔵展示されているそうです。

これは古いUSB接続タイプですが後日Bluetooth版も販売されています。

結局デスクトップMac(G3 AGP)のリタイアとともに机下の奥でひっそりと置かれたままに。

久しぶりに音楽を鳴らしてみました。

うーん、でもこれもそろそろ廃棄対象になってしまうのかな......

 

本体

 

 

意外と小さい青色LEDランプ(判ります?)



Bamboo Slide Rule(計算尺)

No.2664S  HEMMI

ジブリの「風立ちぬ」がTVから流れています。このアニメで頻繁に登場するのが煙草と計算尺。

最近古い勉強机の引き出しを整理しようと開けましたら計算尺が出てきたことを思い出し、展示いたします。

HEMMI(逸見)の計算尺です。

数回使い、Boxに入れたまま数十年近くたっているはずですが、歪みやそりもなく、カーソル、スライダーともにスムーズに動きました。さすがHEMMI。

HEMMIのホームページにも経年変化に十分対応できるように素材の竹の処理に相当の時間を割いていたとか。

当時掛け算と割り算は教わったのですが、時代は電子計算機、電卓の時代に突入(私はコンピューター世代!)。永らく机の中に........。

だいぶ前に製造中止となった一般計算尺ですが机の引き出しの中でタイムカプセル状態だったのが良かったのでしょう新品同然です。

乗除算、平方根及び三角関数が扱える仕様です。残念ながら取扱説明書が行方知れず。どこかにあるはずなんですけど............

計算尺ってまだ使っている方はいるのでしょうかね?いないだろうな~。

 

2015.03.28追記

取扱い説明書が見つかりました。

 

格納箱

品番製造番号

カーソル

取扱い説明書

 

 



AIBO ERS-111(2015年未来技術遺産選定)

SONYが世界初の自立型ペットロボットとして開発・販売した「AIBO」の初代ERS-110の改良型。

永年家族の一員だった愛犬の小柴をみとった後、部品の供給が続けば原則寿命は無いペットロボットに興味をもち購入。当時秋葉原のPCパーツ店で個人の方からの委託販売扱いのこのAIBOがショーウインドウに飾られていました。

とはいうもののそのあとにどういったわけか家に野良猫が集まりだし、その世話に追われてしまってあまり遊んでやれませんでした。

子猫の一匹がこのAIBOになぜか興味津々で耳を引張っては一枚とれ、さらに一枚取れとバラバラに。基本的に薄いゴム板にプラ製の耳型プレートを張り合わせ動くようになっていますので自分で修理は可能と放っておきました。既にこの耳裏のゴム板は経年劣化が進みぼろぼろになり始めています。

まだ動きますがさすがにバッテリーが相当へたっている様で、起動準備完了後に目覚めて動き出すこと数分でヘタってしまいます。

予備充電バッテリーも充電ステーションに入れっぱなしでしたので状況は同じ様です。取扱説明書に記載されているエラー状況の表示は出ていませんのでバッテリーさえ良いものが手に入れば往年のように動くと思うのですが。

少し前に唯一AIBOのサポート修理を引き受けていたクリニックがAIBOメンテナンスを完全に終了したとのこと。

家電品と考えれば致し方のないことですが現実はアシモフの小説とは異なり

ロボットと言えども寿命があることを改めて認識させられました。

それでもメモリーバンクさえ残っていれば.......というのが古今東西のロボットストーリーものの定石。AIBOではメモリースティックですね。

何か状況が変わりましたらまたご報告しましょう。

 

<2015.02.22追記>

専用バッテリERS-110Bの内部セルの交換をしてもらう事にしました。

まずはAIBO本体に永らく入ったままだった方を工場にだします。この際ですからセルを5500mAにあげてもらうことに。交換されたセルが戻ってきましたらまたご報告します。

 

胸のポーズボタンは緑に点灯

 

 

バッテリ再充填中


AIBO復活

株式会社RecellOnlineさんから早々とリフレッシュされたバッテリーが届いたのでスタンドで充電後、AIBO体内のバッテリーと交換したところ問題なく復活しました。

そのまま10分ほど自律モードで慣らし運動させてましたところ案の定チビ子が接近。興味津々の様子。

もう一つのバッテリーもリフレッシュしておきますか...........

一方、痛んだ耳はすべてパーツも見つかり、どう修理するか思案中です。

御覧のようにゴムはすでに固めの羊羹の如く劣化が進んでいますのでこのまま利用するのは無理でしょう(単純に薄手のPETシートを切り抜いたものにこのまま並べて固定し、再度取り付けようと思ったのですが.........)

取りあえず劣化ゴムは完全に除去。新しいシートゴムと両面粘着シートは調達中ですが、問題は頭部両サイドの取り付け部分。ここが肝ですね。真ん中の円柱状蓋は引っ張って取れるのですがここからどうしたものか?よく見るとこの耳の取り付け部の複雑な形状のゴム部品も相当傷みが進んでいます。へたに取ると取り返しがつかないかも..........。少し考えましょう。

 

追記

2015年からこのAIBOの耳の修理過程を「AIBOの耳リペアプログラム」として当館修復室コーナーに掲載していしたが2024年現在すでにお役御免として掲載を終了としました。

 

耳のパーツ

 

 

裏側のゴム

 耳パーツのエッジ部


AIBO修繕完了        2015.07.01

AIBOの耳リペアプログラムに綴りました修繕方法によりご覧の通り一応購入当時の姿に戻りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

AIBO Performer Software for ERS-111

AIBO ERS-111専用のMotion Editer Soft。

当時購入時におまけでついていたのですが今まで見つからず、古いMac用ソフトパッケージと一緒に仕舞われていました。

動作環境はWindows95/98となっていますがメディアはCDですので動くかもしれませんがまだ未開封のままでした。

日、米、英、仏、独の5か国対応となっているようです。

 

2015.03.20追記

AIBO Ware Ver1.1のMemory Stickも同梱されていました。

          

同梱物

 

 

AIBO Ware 1.1



Commodor SR1800 関数電卓

これは単に当館館長の思い出の品です。

学生時代に使っていたコモドールのスタイリッシュな関数電卓SR1800。

学生生協で購入したこのモデルは当時一番カッコいいデザインの電卓だったからだと思います。

軽くて楔形の傾斜本体にカラフルに色分けされたボタンを配置、見やすいグリーンの蛍光管を搭載しています。惜しむらくは本体が少し剛性不足というかきゃしゃなことと数値キーがもう少し大きめの方がさらに使いやすかったかな。

原則単三電池3本で駆動しますが、外部電源としても使える充電器と充電池パックが別売されていました。単三電池と充電池の共用も可能でその場合は充電器は外部AC電源として機能しました。

さすがに計算中は蛍光管は光らず結果をポンと表示し、ゼロ除算はエラ-のE表示がでます。

コモドールはPET2001というやはり当時としては格段にスタイリッシュなオールインワンタイプのPCも出していましたね。

その後低価格PCを出し続けましたが業績が悪化し、その活動を停止してしまいました。

 

楔形ボディー

取扱い説明書

見やすい表示

関数ボタン部

 

 

本体裏

説明書(規格)



RIO 600

令和5年度末の大掃除でゲームソフト類とともに出てきたは.......。

館長最初のMP3プレーヤーRIO 600でした。

RIO300、RIO500に続くRIO第三世代に当たり2000年に投入。

単三電池一本で駆動し、スタイリッシュなデザインに交換式6色カラーフェイスプレート(写真のシルバー部分)による着せ替えでその日の気分で色を変えて持ち出せるマシンでした。内臓RAMは32MByte。

正面の円形入力デバイスはiPadのホイール機能はなく単に上下左右の送り機能(再生中は一時停止や停止、巻き戻しと早送り)と中央の決定機能のみ。

有線(当時はBluetoothもなかった....)イヤホンにもコントローラが付いてしてました。

 

 


North American XB-70-A2  Artifact 1

六号館でNorth American XB-70のキットを展示中ですが、このマッハ3級の超音速巨人爆撃機は米国戦略空軍SACの期待を背負って開発されながら高騰するコストに加え当時のミサイル万能神話に足元をすくわれ当初の3機試作製造計画のうち2機のみが試作されるにとどまりました。

一号機製造の経験から、より洗練された設計・製造工程により実機に近づいた2号機はエンジンメーカのコマーシャル映像の撮影に駆り出され、その撮影終盤で編隊を組んでいたNASA所属のLockheed F-104との接触事故により墜落してしまいました(巨人機XB-70の排気後流に巻き込まれたF-104が操縦を誤ったとされています)。

写真はこのXB-70 2号機の破片(artifact)と称する小さな焼け焦げた金属片です。
この手の珍品収集家が墜落現場の砂漠から見つけてきたというもので、証明書まで付いています。

シルバー色の断面のすすけた金属プレート片面に薄いフォイルのような金属箔がさらに接着されているような構造の小片で、そのフォイル逆側が焼け焦げたように見えます。その証明書を読むと「自らXB-70-2号機の墜落地点を調査し発見したXB-70A 2号機の残骸であることを保証する」となっているのですが真偽はどうでしょう?

これがステンレスであれば機体に多用されていたステンレスハニカムパネルの上下のエンドパネル(表面材)で、その上下内側にサンドされるハニカムを高温高圧養生によってこの表面パネル材に蝋付け接着するための蝋付けシートがあったはずですから薄いフォイルはそのシートである可能性もあります。

当時の技術では内部のハニカムと上下のプレートを完全に溶着することはできていなかったことが指摘されてますからハニカムの跡がないことも説明は可能とは思います。

まあほかの部材かもしれませんし.........

 

 

North American XB-70-A2  Artifact 2

この品も別の収集家の方のコレクションを譲っていただいたものです。

この破片(Artifact)は2号機のコクピット後の胴体部分がクラッシュした地点から回収したとされるもので御覧のようにパネルのエンドフレーム(外板繋ぎ部)に押しつぶされたハニカムが付着している状態のものです。

この破片にも上下のプレートが残っておらず(はぎとられた状態)残っている金属プレートは製造されたハニカムパネル同士の繋部と思われます。

天板やフレームの一部は相当の力で引きちぎられた様にも見えます。

ハニカムの厚みはジャスト1inch(25㎜)で焼けた形跡はなく、いまだ鈍いメタル色と土が付着している状態(提供者のCrash Site Hunterさんは回収当時のままで、洗浄等はしていないとしています)。

コクピットと翼をつなぐ円筒の胴体部分の構造クロスカット説明図(製造元のNorth Americanのマニュアル)ではまさに この形・寸法の構造外板が全体に使われていたことが判っています。

この破片は信憑性が高いかもしれませんね。

 



North American XB-70-A2   Artifact 3

 これもe-Bayで見つけたもので機体の主構造体そのものと思われる完全なステンレスハニカム構造の一片です。

片面には機体表面塗装とおぼしき白色塗料まで綺麗に残っています。

収集家(Artifact 2と同じ出品者さん)曰く、大きな破片を幾つかにカットして出したとのことで大きさの異なるものがちょっと前にも出品されていました。

同機の墜落現場から自身が見つけてきたことを保証するという宣言書つきですがこの手の類のものは公的な効力は一切無いので出品者の方を信じるしかありません。

ただこの出品者さんのeBayでの評価は非常に高いものでした。

では破片を見てみてみましょう。完璧なステンレスハニカム構造を残したこの一片の厚みはジャスト15mm。実機はfeet/inch寸法で設計されていたはずですから3/5in寸のハニカム材ということになります。

白色塗装されている方が機体表面側、もう片方はスチール色のままの裏側とすると機体表面材(水平面構成部材?)の一部と言うことになります。

しかし手持ちの資料で調べた限りでは機体の表面材には1in(25mm)厚のハニカムボードが主に使われていたようです。

ステンレスハニカム材にはその他にも内部構造支持材として3/8inや1/2in厚のものもあったことは資料に残っています。

また今まで販売されていた機体破片としてほとんどのハニカム材破片は上・下面のスチール表面板が綺麗に剥がれているか、ハニカム自体もつぶれているものばかりでした。

このハニカムボードは機体製造元のノースアメリカンアビエーションが材質、製造技術のすべてを一から作り上げた世界最初のステンレスハニカムボードであり、その開発製造には難問続出だったといわれています。

特に上下面の表面材ステンレスプレートと内部のハニカム材の完全溶接が至難の業だったらしく、これら残骸の状況として墜落の衝撃にはハニカム構造も耐えられなかったのであろうと容易に推察できます。

しかしながら相当の大面積の機体構成用ハニカム部材が墜落の衝撃に耐え、残っていたことは墜落直後の写真や事故調査時の機体再構成写真からも知られていますし、数年前に成人男性と同じ寸法の主翼破片(USAFのマーキングまで一部のこってました)が出品されていましたので(機密保持期間を超えた保管物の払下げがあったのか?)このような無傷のパネルがあってもおかしくはないことは判りました。

うーん厚みが決めてと思うのですが、エルロン等動翼の様なパーツ構成部材であった可能性もありますし、どなたか当機の機体に使われたハニカムボードの厚みについて詳しい方がおられましたらお教えいただきたいとことです。

 


North American XB-70-A2 Artifact  4

表には白い塗料が残っているステンレスの破片です。裏面は完全な金属面ですのでハニカムパネルではなくステンレス板外皮の破片かもしれません。

Crash site Artifact 1と同じ方からの提供品です。

裏面になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Lockheed F-104 Starfighter Crash site Artifacts

ジェネラルエレクトリック製ジェットエンジンのプロモーション映像を撮影中に同社製エンジンを搭載するXB-70A 2号機とF-104が空中衝突し2機は墜落。

編隊飛行の撮影終了後、フォーメーションの解除が命じられた直後にXB-70の後流に煽られた様に巨人機に空中衝突して墜落したJoe Walker少佐操縦のF-104の残骸とされる金属片。e-Bay で落札しました。

空中衝突後、左垂直尾翼を失ったXB-70はそのまま何事も無いように数分間巡航を続けた後、突然機体のコントロールを失って墜落しましたので両機は相当離れた場所にクラッシュしています。

出品者のトレジャーハンターさんは両地点を探索して個々のクラッシュサイトで幾つかの破片を見つけたとされています。有名な事故直前の編隊飛行写真もおまけでいただきました。

 



記念切符

MZ-80Cのソフト群が見つかった戸棚から古ぼけた切符が3枚出てきました。

そうそう、一時期金運上昇や幸運になれる切符としてもて囃された北海道の銭函駅と幸福駅の切符です。

年末に年またぎで購入されてますので寒いところが大の苦手な自身で購入したものではありません。

当時学校で鉄道研究会を組織していた友人達が冬休みに北海道周遊強行軍をした証拠として買ってきてくれたものです。

冬休みが終わり、皆がそろったところで「本当に死ぬかと思った」と熱弁をふるいながら配ってくれました。

皆でその労をねぎらい、ありがたく頂戴した次第。懐かしい思い出です。

調べたところ昭和62年に広尾線は廃線となっており、すでに愛国駅、幸福駅ともなくなっています。銭函駅は健在のようですね。

えらかったぞ鉄研。

 


Petri V3 FLEX 

数十年前になくなった父が使っていたライティングディスクの掃除をしましたら色々出てきました。

まず黒いぼろぼろのショルダーの中に古い一眼レフカメラと備品が入っていました。

遠い昔に廃業した日本メーカーペトリの35mm一眼レフ V3 FLEXです。

父親の愛用していたカメラで旅行の時に何度か借りた覚えがあります。

高級機種といった部類でもはないものの古い割に素人目には本体の錆やレンズにカビ等の汚れもないようです。

フイルムのリワインドも問題なし、シャッターも鳴り響くようなバシャという音をたてて切れますが脇を締めて押さないと手ぶれしますよ。というよりも本当に使用に耐えうるかどうか?

とりあえずボディー・レンズをワイピングクロスで清掃し、カバーは皮革クリーナーで磨いときました。さすがに入っていたショルダーバックは廃棄とし、本革のショルダーに入れてやりました。

ほかに入っていたのはナショナルブランドの外付けフラッシュとカメラの固定器具、遠隔シャッター等です。

一巻入っていたフジカラーフイルムは捨てましょう。

 

固定ハンドル?

 

外付けフラッシュ

 

 

光学フィルター?



Kodak INSTANT CAMERA  EK16K

古い資料類を投げ込んであった紙袋の下の方から忘れていたインスタントカメラが出てきました。

当時先発ポラロイドとの14年にも及ぶ熾烈な特許侵害裁判が1991年に結審し、コダックの敗訴が決定。コダックは即時インスタントフィルムの製造工場を閉鎖してその供給を停止し、この分野から完全撤退。

ということで世界各国において同社のインスタントカメラ本体の購入者には保証プログラムが実施されました。

記憶ではコダックの同価格帯の銀塩カメラの無料選択提供があったような...。

巨額な賠償に会社の屋台骨が揺るがないのか?さすが世界的な銀塩フィルムメ-カ-の巨象コダックと感心した記憶が。

ただ特許侵害の範囲と賠償が地域的限定だったのか、本体は回収されずに今後正規の純正フィルムが供給できないというお詫び的な保証プログラムだったのかもしれません。よって日本ではこのまま富士フィルムのインスタントカメラ用フィルムが使えました(この組合せは特許侵害範囲外だったのか黙認だったのかは不明です)。

このEK160は当時のポラロイドのインスタントカメラより格段に普及価格で確かに造りも簡素でした。今でも外見上はほとんど無傷の様なのですがさすがにバッテリーが日本ではそう簡単には手に入らない様です。

バッテリーはDURACELLのSize J / 6Volt type 7K67で英国や米国ではまだ在庫販売していることが判明。少し高めですが同型でリチウムイオン電池式のもの(並行輸入品の国内販売店価格の1/4です)を取り寄せ依頼中ですので無事届いたら動くかまたご報告しましょう。

あとはフイルムだな......富士のインスタントフイルムってまだやってたっけ?もう富士でも生産してないでしょうね。

まあ復活したところで使い道もありませんが............。

 

あの銀塩フィルムの王者コダックもインスタントカメラ技術の勝者ポラロイドもその後のデジタルカメラの急激な普及で次々と倒産消滅(Kodakは再度大幅に事業縮小した会社として再建していますが)してしまいました。

時代の生き証人の一つとしてご紹介ということで。

 

追伸

残念ながらリチウムイオンバッテリーは航空法で危険物となり発送できないとお断りが来ました(やっぱりね.......)。

 

本体側面(シャッター部)

Kodakのフィルムケース

 

 

当時のバッテリー(印刷が取れる取れる.......)

 

 



RICHO Syncrofax Myteacher

リコーマイティーチャーS:スペシャル版

2022年暮れ、断捨離大掃除で30年以上放置状態だったロフトの奥からこんなマシンが出てきました。

あのリコーが家庭用学習マシンとして1962年から一般販売したもので今で言えば公文の学習マシン/タブレットの走りというべきものでした。

マイコンや個人向けの小型ハンディー電卓もまだ世に出ていない当時、裏面に音声録音用の磁気記憶層が塗布されたA4判の学習シートを一枚ずつセットして開始ボタンを押すと学習シート裏面に録音された音声磁気デ-タをマシン中央の回転ディスクに設けられた移動ヘッドがシンクロステップ移動して録音データをトレース。スピーカー/ヘッドフォンから教師の説明が流れるといった機構でした。

再生専用タイプ(スタンダード)と未録音の生シートに録音をし新しいオリジナルの教材を作ることができるこちらのスペシャル版があったようです。

 

 

とはいえ再生/録音時間はシート当たり4分まで。教材は各巻標準100枚セットで400分の学習ボリュームという計算です。

先行販売されていたキャノンのマシンはこの時間が10分という上位型でしたがマシン価格が高く、安価なこのRICHOの装置の方が売れたとか......。

半世紀以上も過ぎているためにまだ動くのですが磁気デ-タが劣化しているのか雑音が入ります(当然ですね.....)

 

新し物好きな父親が「親戚から貰ってきた」と家に持ち込んだマシンで当時の実勢価格も不明です(笑)。

私はまどろっこしくて一切使わなかったため長らく永眠状態というわけに。

一緒に入っていた取説/カタログの写真が泣かせますね。

「Aちゃん、お茶とケーキよ。一息入れなさい...」とでも言っているお母さま。

 

そんな絵にかいたような家あるか~!私が育った下町に。

 

 


大阪万国博覧会(EXPO'70)

パビリオン観覧記念メダルセット

今から約半世紀前に開催された大阪万博EXPO'70。

各国パビリオン観覧記念メダルのセットと入場券です。

2025年に再び大阪の地で万博開催を実現しようと国や地方地自体が正式に誘致に動き出したことがきっかけとなったのかオークション市場等にも当時のEXPO’70の記念グッズが多くでていますね。

このセットもそんな意味ではあまり貴重な記念品というものではありません。

残念ながらEXPO'70を実際に観ていない自身にとっては当時のメダルに刻印されたパビリオンの外観を見ているだけで満足です。

ただ表裏の展示仕様になっていて展示館もさほど多くはありません。

表面の展示にして2倍の展示館メダルが並べられていても良かったんじゃ.......

証書も当時の姿こそ保っていますが糊はすでに劣化、折り曲げようものならパラパラと自然崩壊寸前です(笑)。

入手時にすでに保護ガラスがはまっていませんでしたのでアクリル板を裁断し、はめ込んでいます。

 


SEIKO TIME PORT-7(Brack)

10年前に行方不明になっていたお気に入りの目覚まし時計「TIME PORT-7」家具の後ろに落ちていたのを掃除で発見(ここ永らく模様替えしてなかったからな)。

ただ永らく放置されていたため電池の液漏れからバッテリー電極がさびてしまって新品単三電池交換では作動しませんでした。

そこでまたまた電動ルーターで丁寧に電極に付着した液錆を削り落として金属面出しをし、再度電池を入れ直しましたらご覧の通りに復活。

この時計、中学校への入学時に記念に親が買ってくれたもの。

当時はデザインもさることながら7つの時を操る時計(海外旅行時の別ゾーン指定も可能)、曜日(万年カレンダー)、時報、ストップウォッチ、タイマ―にアラーム(スヌーズ付き)として多機能デジタル目覚ましのはしりだった記憶があります。

当時の同価格帯の時計に比べればダントツの一品でした。

ということで時計店で見初めて以来のお気に入りになりました。

もともとボタンやスイッチは多いものが好きな性格故、今の機能設定ボタンのマルチ化とは真逆のデザインですが、配置や切り替えが極めてリーズナブルな設計なので高齢者には結構こちらの方が設定しやすいように思います。

事実この時計が行方不明になった後に目覚ましを幾つか買いましたが、使いづらい、設定が面倒、機能不足といった不満で気に入らず数年で買い替えの憂き目に(コラコラ.....)。

まあ電波時計の時間自動修正機能はさすがに今の勝ちでしたが。

液晶、夜間ライト、ブザーもすべての機能が約半世紀もたった今でも健在という長寿命設計(この時計の所有者の皆さん、同じ状況の様で大事にされているようですね)。さすがに多用した機能のスイッチ廻りだけは黒塗装が薄れてきてますが.....

今では壊れる時期も設計のうちなのか、数年でいかれる電子機器が多い中、昔の日本のモノづくりの凄さを実感します。

さすが世界のSEIKOさん(なんてね)