特別展示 思い出のゲームマシン

当特別展示コーナーに展示しましたゲームマシンやゲームソフトの講評には個人的な見解が相当強く含まれております。

一般的な評価とは異なる点もありますことをご了承ください。

当時の懐かしい思い出を皆さんと共有できればと考え企画したものです。


任天堂ファミリーコンピューター

 少し昔の話になりますが熱烈なファンを持つ「The World of Golden Eggs」。

かく言う自身はNISSAN NOTEのCMで目にするまで全く知りませんでした。

いや~はまった、はまった。

リリースされているDVDシリーズの中でも粒揃いのシーズン2のVol.4に「ゾンビ島」という一編がありますが、これはファミコン世代の人には別の意味で涙もののストーリーでした。

ハイデフがあたりまえの最新ゲーム機世代の人には多分判らないだろうな。カセット端子の接触不良で大事な時に限ってバグったり、コントローラーでパスワード入力するなんてね。

実は先日階段下の物置を整理していましたら懐かしいゲームマシンがしまってあったのを見つけ写真に撮っておいたのですが、今回から家庭用ゲーム創生期の国内マシンと個人的に思い入れの深いゲームソフトをパックでご紹介しようと思います。

 

まずはその第一回。

家庭用ゲームマシンの草分けといえば海外ではAMIGA、日本ではNINTENDOのFamily Computer、通称ファミコンでしょう。

花札とトランプの遊技具メーカーだった任天堂を一躍日本有数の優良企業にのし上げたエポックメーキング的なこのファミコン、これ以上語る必要もないマシンです。

例のカセットソフト差し込み口の設計的な甘さからよく接触不良でバグりましたが、それでも当時としてはコントローラーにマイクを仕込んだり、画期的なインターフェースの数々、例えばコントロールマットやバルーンバイク、バズーカ砲(←これは笑えましたがスーパーファミコン用でしたっけ?)等を次々と繰出したその企画力は最新マシンWiiまで引き継がれてきたNINTENDOのお家芸。

ソフトはファイナルファンタジーシリーズ、ドラゴンクエストシリーズが牽引役でしたが、お気に入りはMotherとハイドライド(Ⅲ)。

Motherは敵を撃退はしても決して殺戮しない世界観、あの子守歌の秘密にはなぜかほっとさせられました。また加速距離の不足からワープ移動に失敗したときの「ボン」もよかった(わざとやりませんでしたか、みなさんも)。

とにかく異色のRPGでした。

一方のハイドライドはお世辞にもビジュアル的にはよい出来とは言えませんでしたが、広大なマップをもの悲しげなミュージックにのってとことこ移動するのがお気に入りでした。画面描画に反して装備重量と移動速度との関係とか異様にパラメーターに凝っていたゲームでもありました(もとはPCゲームだったからかな?)。

個人的には半熟ヒーローも好きでした。

どこか段ボールに数十本位のゲームカセット投げ込んであるはずですので見付かりましたらご紹介しましょう。

 


 

 

2023.06.18追記

未整理エリアの掃除中に古いプラモデㇽと一緒にポロっと出てきたファミリーコンピュータのゲームカセット2つ。

一つは以後次々登場した任天堂のゲームマシンにも移植されてきたDR.MARIOです。

もう一は見慣れないCaptain ED(えどと読むらしい)というカセットが。

全く内容の記憶もなく............。

 

CBS SONYのメーカー名もあり、ディズニーランドで人気を博した3Dスペースアドベンチャーミュージカル、あのマイケルジャクソン主演のキャプテンEOのパロディー?そこでネットで調べましたらなんとくそゲー評価のオンパレードです。

「くそゲー中のくそゲー」とか「真のくそゲー」なんてレビューがずらずらと......。

当時はファミコンの爆発的な人気に乗じて出せば売れるとばかりに雨後の筍のように玉石混合のゲームカセット群が発売されていた時代。おまけに超人気ゲームソフトとの抱き合わせ販売が大きな問題にもなりました。

きっとタイトルに騙されたか、抱き合わせで買ったにちがいない(笑)。

ゲームプレイの画面動画も見ましたが全く遊んだ記憶なし! 抱き合わせ決定じゃ......

 

でもやっぱり懐かしいですね。

スーパーファミコンの時代となってファミコンソフトを段ボール箱に詰め込んだ記憶があるのですが未だ行方不明で.......でももしかしたら中身はみんなクソゲーカセットだったりして

 

 


Nintendo Disk System

 ファミコンに鳴り物入りで導入されたDisk System。

ミツミ電機と日立マクセルが造ったスパイラルフォーマットのQuick Diskシステムによるファミコン専用タイプ。当時は業界規格DiskとしてMSXやシャープのMZ1500等の普及版PCやワープロ、MIDI楽器にも採用された記憶システムでしたが安価な反面、ランダムアクセスが出来ないDisk規格のために直ぐに廃れることに。

新Diskを一枚購入し、町のオモチャ屋に設置されたベンダーマシンで別のゲームソフトに有料で書き換えられるという結構斬新なサービスも展開。

まあ今のDSステーションの走りと見ることも出来ますね。

 

結局このシステムと後に出たバーチャルボーイは任天堂としては失敗作というかあまりに時代を先取りしすぎたという意見も。アイデアや考え方は良かったんですがね。差し込まれたDiskにはゼルダの伝説が書き込まれていました(ビヨヨンと伸びる鎖鎌のような武器が懐かしすぎ)。

 


NEC PC Engine CORE GRAFX

       and

CD-ROM2 (ロムロム)システム

CD-ROMによるゲーム供給の走りとなったマシンであったと記憶します。

コンパクトな本体にゲーム供給用のカードスロットを装備し、そのカードでシステムソフトのバージョンアップを図るとともにインターフェースボードにビルトインして機能を拡張していく考え方は如何にもPCメーカーの造ったゲームマシンでした(後継機のPC-FXなどは明らかにデスクトップパソコンの造形でしたしね)。とくにグラフィックスに力を入れ、音声との統合によるアニメ系のインターラクティブゲームを得意として、秋葉原のいわゆるオタクの方々に支持され、根強いファンをもっていたマシンでした。

このゲームマシンといえば当館館長個人的にはコナミのSNATCHER:スナッチャーが一押しです。メタルギアシリーズで有名な小島秀夫さんの初期の作品で、MSX等のPCゲームとして先行登場し、熱狂的なファンを獲得した作品でした。

ゲームの世界観は明らかにブレードランナーなのですが(主人公ギリアン・シードの容貌はご覧の通りブレードランナー主人公のデカードそのもの)、レプリカントに対峙する存在は人間を拉致殺害しては機械のボディーに殺害者の外観を模した人工皮膚を被ぶせて本人と入れ替わる(スナッチする)ロボットで、この入れ替わったスナッチャーを発見・駆除しながらこれらスナッチの謎と黒幕を解き明かしていくのが特殊捜査機関JUNKER本部に属する主人公シードの任務でした。

相棒にメタルギアMkⅡという小型ロボットが供与されるのですが、これは小島さんのメタルギアソリッド4に登場するメタルギアMkⅡイメージそのものです(メタルギア4でオタコンが送り出したMkⅡとスネークが初対面したときにニヤっと出来た人は相当のスナッチャーファンでしょう)。

残念ながらMSXを持っていなかったため完全ストーリーを体験していないのですがこのPCエンジン版にはワクワクさせられました。

惜しむらくは当時のCD-ROMをもってしても足りなかった膨大なデータ容量ゆえにストーリーの最終段階がゲームからインタラクティブ電子小説化してしまっていたところでした。

それでも今もって心に残るゲームとしてその輝きは失わないと断言しましょう!

 

令和5年の断捨離・掃除で出てきたゲームソフト達。

真ん中辺りがCDROM2

スナッチャーとイースしかやってなかったのか......

 

 



SEGA  MEGA Drive (メガドライブ)

懐かしのゲームマシン第3段はセガの

メガドライブ。

メガドライブといえばファンタシー・スターとソニックシリーズが忘れられません。

当時はカセット式でしたがPCエンジンを追うようにIOユニットと一体化したCD-ROMドライブユニットが出されました。さらにソフトがCD-ROM化されたのであまり使われなくなった本体のカセット挿入口を使い、CPUを32bit化する拡張ユニット・スーパー32Xを亀の子のように載せるオプションも販売されましたが結局32bitCPUを2コ搭載した後継機セガサターンにとって替わられました。

 

追記

令和5年の大掃除で出てきたメガドライブのゲームソフト達。

スイッチてどんなゲームだったか......

 



SEGA SATURN

このサターンはPlayStation同様に最初からCD-ROMによるゲームソフト供給を主眼に置いていましたがPSと異なり先代のメガドライブとの互換性が無いにも関わらずカセット挿入口がありました。後々32Xのようにパワーアップユニット等を計画していたようなのですが結局拡張RAMカートリッジ以外には使われずに終わった感があります。

当時32bitCPUが2コで64bit級とかなんとか言っていましたが、これはちといただけませんでした。

とはいえSONYの初代PlayStation(以後PS)とほぼ同じ性能を有し、壮絶なシェア争いを演じたこのSEGA SATURN(SS)はソニック・ザ・ヘッジホッグに替わった「Nights:ナイツ」が懐かしいです。

でも何故ゆえにソニックも出さなかったのでしょうね?

その後PS、SS両陣営はシェア争いから本体価格を大幅に下げていきますがSEGAはコストダウンで苦境に立たされ、この異様なマーケット構造は次のDream Castまで続いて結局SEGAの家庭用ゲームマシン撤退へと繋がったのは周知の事実です。

 

SSのゲームにはバーチャファイター、ストリートファイターシリーズ等ゲーセンで名を馳せた業務用タイトルの移植作が有名ですが、ほとんど無名に近いソフトながら個人的には非常に出来の良いアドベンチャーRPGだったと確信する一編「Deep Fear:ディープ・フィアー」をご紹介しましょう。

舞台は太平洋グアム沖のマリアナ海溝縁にあたる300mの水深下に建設された巨大海底施設「ビック・テーブル」。US NAVYの原潜補給基地と民間海洋研究施設を結合した海底基地でNAVYエリアに最新鋭原潜SEA FOXが寄港した直後から軍管轄のエリアで兵士が次々と怪物(クリーチャー)に変身していく事態が発生。民間レスキュー隊の主人公たちはクリーチャーの襲撃と民間施設への伝染拡大の中、数々の難事件を解決しながら刻一刻と崩壊へと進むビックテーブルから脱出を試みるといった筋書きでした。海洋サスペンスアドベンチャー映画を地で行くようなストーリ展開とグラフィックスは当時としては秀逸でした。突然の酸素不足や施設の浸水を食い止めながら迷路のような巨大施設を右往左往しながらも懸命に生き抜こうとする生存者達の行く末は如何に……。宇宙空間同様に空気が無くなる恐怖をうまく使っていました。

なぜこのゲームが日の目を見なかったのか理解に苦しみます(言い切った!)。

 

館長一押しのDeep Fear 

 

 

 




NINTENDO Super Famicom

スーパーファミコン(SFC)

一家に一台とまではいかないまでも売れに売れたファミコンの後継機として大幅にその性能をアップさせたスーパーファミコンもまた売れに売れたマシンでした。16bitゲーム機としては先に取り上げた先行のPCエンジン、メガドライブを押さえてシェアー1位を獲得。ファミコンの後継機といってもゲームソフトに互換性がなかったのですから立派なものです。

ゲームも名作揃いで取り上げたらきりがありませんが、当館ではやはりMatherの続編Mather2、ファイナルファンタジーとドラゴンクエストシリーズをやりたくて買ったようなものです。

このSFCは独自路線を採り、最後までカセットによるソフト供給にこだわったマシンでした。というよりもCD-ROM化計画はあったのですが結局実現しませんでした。ソニーと繰り広げられたドライブ開発・供給トラブルは後継機の64まで巻き込んだ有名な話です。よってゲームカセット内の基盤に描画演算速度をアップさせるスーパーFXチップ等の付加チップを搭載させてゲーム処理環境を改善しました。写真のSTARFOXなどがその例で当時はその描画性能に驚いたものです。

 

オリジナルの箱に入って残ってました。

 


ニンテンドーを支えるマリオ達

 

真・女神転生シリーズ

 

これがあのクロノ・トリガー

Romancung SaGaシリーズも

 

ファイアーエンブレムっシリーズ

 



NINTENDO64

 続いても任天堂が鳴り物入りで世に出した64bitシステム、NINTENDO64。

でもはっきり言ってこれは大失敗作。

発売当初ゲームマシン本体は手元にあるも遊べるソフトが一本もないという常軌を逸した状況でスタートを切ったマシンでした。

当時性能はスーパーコンピュータに匹敵するとまでいわれた超一級品だったのですが購入した方の中には任天堂にだまされたと憤慨した方も多かったのではないでしょうか?

Mather 3に代表される超目玉ソフトやオプションの開発状況が二転三転し、待ちわびた人々を極限までいらつかせました(それでも館長懲りないんだよな、Game Cubeも買っちゃって)。それまでのツケが回ってきたと言えばそれまでですが当時の任天堂はいろいろ叩かれました。

それでもZERDAの伝説シリーズ:時のオカリナはすばらしい作品でした。

本当はいいマシンだったんですけどね。

 



SONY PlayStation  プレイステーション

マシン立ち上げ時に流れるミステリアスな起動音とロゴ表示が新時代を告げるかの様でとても斬新だったこの初代プレイステーション(PS)。

この一台でホームビデオゲーム業界におけるSONYの地位を不動にしたマシンといえるでしょう。

ただ32bitCPUマシンではあるものの、突出した機能を有するマシンではなかったと思います。

要はゲームマシンとしての性能バランスが良く、安価なゲーム開発環境を提供することでサードパーティーからリリースされた大量のゲームタイトルに支えられたマシンだったといえるでしょう。

初期のPSは熱暴走し易く、こたつの上やマットの上など排熱の悪い環境に置いてプレイするとバグることがありました。当時を知る人には笑い話ではなく、縦置きプレイステーション(初代PSはそもそも縦置きは考慮されていません)と自虐的に笑いながら縦に置いてプレイしたものです(公式には推奨されない裏技でした)。

写真は排熱対策が施された改良型PSです。

初代PSは縦置きで使うようにと念を押して親類にプレゼント。それでも結構喜ばれたものです。

思い出のゲームは決めかねるほどいろいろあるのですが、やはりまずはBiohazardシリーズですね。当第二展示館を専用展示室として充てるほどのお気に入りです。

「扉を開ける恐怖」、「そこの角を曲がる恐怖」というものを味わせてくれたゲームでした。主人公のクリス・レッドフィールドやカルロス・オリベイラに傾倒し、当時エアガンや電動マシンガン片手になり切りコスプレまで仕出かす始末。

そうそう、Bio2のクオリティーアップと称した突然の発売延期にがっかりしながらも待ちに待った正規版のそのゲームグラフィックスのクオリティの高さにほんとうにびっくりさせられたものです。発売直前にボツになった当初の公開画面と比較するとその差は歴然でした。

そうそう、シリーズ初のPSソフトとなったFFⅦのオープニングムビーのクオリティーに目を見張った記憶は今でも鮮明に。高性能マシン群のグラフィックになれた今では「こんなもんだった?」といったレベルですが当時のあの感動は永遠に続いています。

リッジレーサー、エースコンバット、ディノ・クライシスやパラサイト・イブ等シリーズ化されたソフトはみな秀作揃い。

最後にもう一つ思い出の異色ソフトClock Tower2:クロックタワー2を挙げさせていただきましょう。

Biohazardと同じようなジャンルに属するRPGですが「ハサミ男が….シャキン、シャキ~ン」のCMコピーを覚えていますか?

大きなハサミを鳴らしながら執拗に追いかけてくる邪悪な小男との鬼ごっこの恐怖。学生寮や人里離れた一軒家のなかを逃げ回りながら、時にはベッドやトイレに隠れてやり過ごし(見つかってしまうとそのハサミでシャキーン!)、時には小道具で反撃するもの、時間稼ぎができるだけでとにかく逃げながら閉じ込められたその建物からの脱出方法見つけなければならないパニックRPGです。いや夢に見ますって、これ。

パソコンゲームだったこの話の発端のシリーズ1はこの2の熱狂的ファンの要望で移植版として後日PS用にリリースされましたが、シリーズ最終作ゴーストヘッドと併せ、これらはあまり語らないことにしましょう。

 

PS ゲームソフトコンテナ01

PS ゲームソフトコンテナ02

 



 

 

2023.06.18

久々のコレクション収蔵庫内の整理中に見つかったものは衝撃の一品は.....

 

Dance Dance Revolution Controller

Playstation(初代)用 KONAMI

収蔵庫の奥から薄汚れた大きな紙袋の中に入っていたのがこの未使用のコントローラー。

音ゲー嫌いの館長が自身で買うわけもないし......

ゲーム自体買ってないんだから。

なにかのお祝いか記念品でもらった記憶もあるのですが.....

結局紙袋ごとそのまま大事にしまっていたようで...

 

 

 

久しぶりに見たBoxの「近所迷惑・転倒に注意」のコピーには笑わせてもらいました。

 

 


NINTENDO  GAMECUBE

ゲームキューブ

前年に発表されたAppleのPowerMac G4 Cubeに影響されたような立方体デザインはまさにプラ製積み木に取っ手を付けた様なトイライクの愛らしい姿ながら、そのボディーはまさにブロックの如く頑丈な出来のゲームマシン。

64の失敗からそれまでSONYのPlayStationをプラットフォームにしていたカプコンのBIOHAZARDをキラータイトルとしてマシンの描画性能の高さと開発環境(費)援助という形で移籍させるという荒技をとって、一部のバイオファンの怒涛の怒りを買いました。かく言う館長も怒り狂った一人でした。

しかしながら確かにGame Cube版バイオハザードのグラフィッククオリティーはすばらしく、ストーリー的には焼き直しにもかかわらず、触手を伸ばさざるを得なかった記憶があります。

その後Biohazard 0、4と新作を先行リリースし、バイオファンとしてはまあ取り敢えず元は取ったかなと........。

このゲームキューブは松下電器と開発した独自の8cm光学Diskをメディアとして採用したり、ブロードバンド対応にしたりと当初からそれなりに息の長い次世代機としてシェアの挽回をもくろんでいたようですが結局64に続く失敗作に(というにはちとかわいそうかな?)。後継機のWiiに任天堂の生末のバトンをタッチして消えていきました。

後継機WiiがGCの光学ディスクを直接読めること、GCメモリーカードもそのまま使えることからWiiの中にGCが生きているといってよいでしょう。基本設計は確かに優れたマシンだったのですから。

おまけとしてこのGCはゲームボーイプレーヤーというアダプターを本体底部に装着(写真は装着済み)することでゲームボーイ及びアドバンスのカートリッジソフトをGC上でプレイ出来るようになりました(8cm光学ディスクでその専用ドライバーが供給されました)。

発売当時は興味無かったのですがあのMother3が何とゲームボーイアドバンス版としてリリースされるという仰天動地のニュースが流れ、慌ててこの別売アタッチメントを求めて秋葉原を探し回りました。やっと見つけて64からの因縁のゲームの出来や如何にとチェック。

うーん、時代が流れすぎましたね。でも糸井さんやソフトの開発・発売に尽力された関係者の方々、約束をまもってくれたその執念と心意気に謝意です。



Panasonic 3DO Real(初代)

3Dポリゴンゲ-ムメ-カ-の米国エレクトロニックア-ツ創始者が立ち上げた

今は亡き3DO社が提唱したマルチメディア統一規格3DO(スリ-ディ-オ-)のプラットフォ-ム。国内では松下産業が担ぎ手に名乗りを挙げ、鳴り物入りで国内投入された次世代ゲ-ムマシンでした。

当時はその処理能力から今で言う情報家電ターミナルとして使うことを想定していたようですが結局ゲ-ムマシンとしてすら大成せず後発のSEGAサタ-ンやSONYのPlayStationのヒットの中に埋もれ消えていった幻影のようなマシンでした。

セガサタ-ンのようにゲーム業界に参入をもくろむ家電メ-カ-がこの規格に準じた後発の自社マシンを投入しましたがみな共倒れ。

どうも統一規格のゲ-ムマシンを数社で出して成功したためしがないですね。

写真の初代FZ-1のデザインは高級オーディオ風でリビングのテレビ台の中に鎮座まします的な姿で当時としては秀逸なものでしたが後日低価格版としてリリ-スされたFZ-10 REALⅡは完全にSEGAのゲ-ムマシン風になってしまいました。

当初遊べるゲ-ムは洋物の移植版ばかりでしたがそれでもさすがにエレクロニックア-ツ製のシューティングゲームは目を見張るスピ-ド感が体験できました。3DOのCMでも盛んにその映像が使われていた記憶があります。

個人的に気に入っていたのが写真の中の「チキチキマシン猛レ-ス」。

ゲームは2部構成で最初がTVシリ-ズの如く11台のマシンのレース着順を予想して見事当てるとカ-ドがもらえ、これを集めると次のステ-ジの本題ブラック魔王の撃退ゲ-ムに進めるという他愛ないものでしたが、子供のころからWacky Race(チキチキマシンの原題)の大ファンだった館長としては最初のレ-スの着順当てだけで十分手に汗にぎってしまいました(無論レース内容はTV版とは異なりオリジナルです)。

最後がこのマシンの数少ない国内他社マシンキラ-タイトルだった「Dの食卓」。

この続編(といってもスト-リ-はほとんど別ものだった)はセガのDreamCastでリリ-スされましたがこれもリリ-スまでに結構すったもんだし、ゲーム紙を賑わせましたね。

このゲームのクリエイター飯野賢治さんが一昨年2013年2月に急死されました。

改めてご冥福をお祈りいたします。

 



X-Box:エックスボックス(初代)

PCのOS:Windowsで世界を制覇したあのMicrosoftが家庭用ゲームにおいても覇権を取るべく創始者ビル・ゲイツが巨額の資金とPCシステムのノウハウをつぎ込んで当時Topの座に君臨していたSECのPlaysStation2に挑むべく世に送り出したゲームマシンです。

5倍速再生のDVD再生専用ドライブを標準装備し、PlayStation が発売当初は外付け形式としたハードディスクを8Gという中途半端な容量ながらも最初から内蔵するなどそのスペックをみれば判るようにデスクトップパソコンがゲームマシンの皮を被った様な仕様です。

インターフェースにUSBを採用しながら、わざとプラグ形状に互換性のない大げさな形状に替えたところにも「これはPCじゃないんだよ」と言い訳しているんじゃないかと穿った見方までしてしまう(実際は若年層の使用を考慮して無闇にPC用の汎用USB機器を接続させないようにしていたのでしょう。一方のPlayStation2は標準形状仕様でした)。

筐体は先に取り上げた3DO風AV機器のようなテレビ台の下に置くしかないような大きなものです。

早くからその搭載DVDドライブにおいて高速回転中の偏振回転からメディアに削れや傷がつくというクレームが多発しました。マイクロソフトは当初設計ミスを認めませんでしたが、これが大問題化した後になってDiskの保証プログラム、無償修理や設計変更を告知し、マシン拡販にブレーキを掛けてしまうという失敗を経験します。

これに懲りたのかさすがに安全の問題だからか、その後に発生した初期マシンの電源コード発熱事故では本体登録をしていたユ-ザ-には電源ケーブルとサーキットブレーカーのような装置を早々と無償で送付してきました。

ソフトは3DO同様にこれまた洋物の臭いプンプンのものばかりで国産のキラーソフトはほとんどありませんでしたが、その数少ない国産ものでひときわ話題になったものが専用コントローラーとともにリリースされた「鉄騎」と「鉄騎大戦」。

VTという搭乗型戦闘ロボットのパイロットとしてあたかもそのコクピットにのって自分でVTを操縦しながら作戦を遂行する戦闘シミュレーションです。

 

この専用コントローラーは家庭用ゲーム史上において最高に凝ったものといってよいのではないでしょうか。

コントローラーは4つのパートで構成され、照準と機体制御用の2本のスティックコントローラーに加え、下部の3つのペダル(加速、ブレーキに緊急バランサー作動用)、メインパネルには多数の機能選択用トグルスイッチやボタンがずらっと列び、右上にはカバーがされた緊急脱出ボタンまであります。

(写真を撮ってなくてすみません。何せ大きく、ブロック化されたコントローラーの組立・配線が必要で............またまた箱に入れるのがパズルのように難しいのです)

まず各種機能Onのトグルスイッチを入れていき、コクピットのハッチを閉じます。

システムチェックを済ませると前方シールドがオープン。

メインビュアーに表示されるバーグラフの上下タイミングを計って機体の起動イグニッションを入れるとパワーが供給開始されて発進可能になります。この起動に失敗するとシステムチェックからやり直しになってしまうという懲り様です。

移動・索敵、ウエッポンの選択、標準を合わせ攻撃開始。敵の攻撃は鉄鋼弾の機銃程度なら上体をひねって防御盾で防ぎ、ミサイル攻撃には機体の緊急スライド機能と当てのバランサー制御で直撃をよけたりとその動作リアリティーはとてつもなく高いものでした。

また爆風や砂塵で汚れた光学センサー(コクピット内のビュアー映像が見辛くなってきます)をウォッシャーで洗浄したり、発生した機体火災を消火装置を作動させて消したりと息つく暇もないのです。ああっ、コクピットの計器がショ-トしだした。えっ、なに?システムダウンだって!てな具合。

ダメージが蓄積して機体の限界を超えたりバランス崩して川に転落・水没してしまいコクピットへの浸水が進む等の状況で機体放棄の決断を迫られることになった場合、規定時間内に緊急脱出ボタンを押さないと機体と共に殉職扱いとなりそれまでの戦闘データまですっ飛んでしまうというシビアーさ。

無論ハンガ-でオリジナルのVTを構築して行くことも出来ます。

「鉄騎」はまだオンライン化されておらずシングルのストーリーモードだけでしたが「鉄騎大戦」ではオンラインモードが搭載され、ヘッドセット音声通信をしながら軍団的な集団行動が取れるようになりました。

音声通信も周波数ダイヤルを調整し、相手を選択するという凝ったもの(鉄騎はストーリー上の登場人物や本部との通信だけ)。

「えーと、Aさん6時の方向から敵が接近してます。Bさん支援可能でしょうか?」といった具合です。

 いやーこのコントローラーが送られてきた時は軍用弾薬保管箱を模したカートンBoxの大きさとその重さにびっくりしたものです。

続編の鉄騎大戦ではプレイヤーを増やすために(ソフト販売数を増やすために)標準コントローラーでも一部操縦できる用に改良されていました。

惜しむらくはハイデフ次世代機X-Box360ではこの専用コントローラーが使用できない(USB部の形状変更がありました)点です。

なに考えてんだがマイクロソフトは。安価な互換アダプターでも販売してX-Boxの資産を有効活用できるように考えりゃいいのに。

それとも本気でX-Boxの上にX-Box360を横置きに重ねろ(デザインはそのような置き方様にぴったりと本体カーブがフィットしました)ってこと?と怒りました。

 


専用コントローラー




SONY PlayStation2

これを懐かしのゲームマシンとするとお叱りを受けるかもしれませんがソフト互換性も高まった初代PlayStation3がメインマシンとなり、長らく当館に君臨したPS2も今は埃を被っていました。PS4の導入を期にリタイアへ。

永年の汚れと埃を取ってやり今は箱の中で永眠中です。初期はPS3がハードディスクインストールに対応していなかったり、互換ソフトが少なかったりとPS2をリタイアさせられない状況が続いたのですがシステムバージョンアップが進むにつれ、その互換性も高まっていき、PS2互換性を売りとする初代60GバージョンPS3で完成域に(とはいえこの機種もすでにサポート終了でリタイアが近いかもしれません)。

サードパーティー製のツナイデント経由でPS2のDualShock2振動コントローラーが使えていたのですがある時期のバージョンアップ(2.1だったか)によって突然認識しなくなる不具合が発生。その後、正規のDualShock3が販売されるに至りこの中途半端なソフト互換性状況も解消されました(振動コントローラーの特許問題が一応決着したからでしょうね)。

1234の語呂合わせから平成12年3月4日発売とアナウンスされたPS2をゲットするため当時システムダウンやら不親切なサイトリンクでほとんどつながらない状態のPlaystation.comジャパンのWeb-shopで会員登録を何とか深夜に完了し、先行予約ゲットにギリセーフ。多分インターネットによる初めての買い物だったと思います。当時は買いそびれた人も多かったでしょう。

ゲームも本体発売当初は5タイトル程度が出たに過ぎなかったと記憶していますが、その数少ないリリースタイトルからリッジレーサーをチョイス。もちろんお店には本体の一般入荷が少なかったようで影も形もなく(事前予約販売のみだったんですね)。ゲームタイトルのみ特設ステージで花々しく販売されていました。

当時スタイリッシュな縦置き設置にするには別途スタンドを買い求める必要があるのにこれを買い忘れて品薄のその縦置きスタンドを求め秋葉原を徘徊したものです。

また初代SCPH-10000に搭載されたDVDドライブの動作音がうるさく映画を鑑賞する環境ではないとか(確かにうるさかったですが少し大げさかなと。ただその後の改良版PS2-50000は確かに静かだったのも事実です)、システムディスクのバグでDVDのリージョンがフリーだったり(今でもこのシステムDiskは保管してますよ、記念に)とニュースに事欠かなかったPS2でしたがさすがに完成度の高いマシンでした。

写真はHDDを内蔵ベイ格納式に、DVD-再生機能が強化された反面i-LINK端子が廃止されたSCPH-50000にロジテックのプレイステーションon-Line対応コンパクトキーボード(取り外し可能)内蔵コントローラー。

ファイナルファンタジーXIのプレイには欠かせないキーボード/コントローラーでしたがスティック部がよく壊れました。

ゲームも秀作が多くセレクトに悩みますが、やはり思い出深いのはネットゲームを身近にしてくれたFinal Fantasy XIとBiohazard Outbreak 1 and 2。どちらも今更語るまでもないゲームでしょう。

ともにオンライン提供初期はサーバーや回線が度々ダウンし、いやいやハラハラしました。

そうそうICO:イコも良かったですね。この手を絶対離さないって…..。ヨルダを強引に引っ張り回してました。「ポンプアップ!?」

 

あのころ毎夜、深夜2時、3時までOutbreakを遊び倒したチーム仲間の皆さんはどうしてるでしょうか?

デビットのどこでもスパナ投げで皆さんに気に入っていただいていたのが懐かしい。

Biohazard Outbreak3が出たらまた「チームSTARS」の再結成しましょうの約束も遠い昔となりましたが、チャンスが巡ってくればみんなまた集まれ!チームS.T.A.R.S!!

 

後は夢でも自身が主人公になり民家の中を逃げ回ったサイレンかな........

 




SEGA Dream Cast 

SEGAが送り出した最後の家庭用ゲームマシン。直後に販売されたPlayStation2に敗れ去り、SEGAに自前の家庭用ゲームコンソール供給から撤退する引導を渡してしまったマシンです。

 自社の湯川専務をイメージキャラに据え、時には「子供達にプレステの方が面白いよな」と言わせ、街頭で販売の陣頭に立つ専務を落ち込ませる自虐的CMでその広告センスの高さは評判となりました。

またインターネット利用マシンの先駆けとして、当時として珍しくアナログ通信モデムを標準装備し、ちゃぶ台をイメージしたマークと「Ch@b(チャブ)で待つ」のコピーによるインターネットツールソフト「ドリームパスポート」を無料配布し、Dream Castをコンソールとしたネット人口を増やそうとしたことも先進的でした。ブロードバンドはまだまだ知名度が低かった時代ゆえブロードバンドアダプターは通信販売で供給する形をとり、入手が難しかったオプションの1つです。

写真は通信ソフトのドリームパスポート3(最終Ver?)とドリームアイ。

ドリームアイはWebカメラの走りといったものでビデオチャットができたり、普通のコンパクトカメラ的にも使えました。青いBoxが単独使用時のバッテリボックスで、黄色いボタンがシャッターボタンです。

ドリキャス本体のメディアは1GB容量のGD-ROMという専用規格でしたがこのメディアも結局本機のみで終わってしまったもの。ややデータアクセス時のジャージャーというヘッドアクセスの読み込み音がうるさかったですね。

コントローラーには2つのスロットを装備し、液晶付きメモリーカード(ミニゲームが楽しめた)とともに振動パックを供給。この形式はX-Boxがボタン配置とともにそのまま継承したものです(A,Bボタン配置がPlayStationと逆なのでよく決定、キャンセルを間違えるというのが悩みの種ではありますが)。

このように新機軸を盛り込みながらも後発PlayStation2の攻勢を防ぎきれずに敗退していきました。

やはりDVD再生機能、上位互換機能は強しといったところでしょうか。

撤退を決めた後、在庫処分の9900円という公式価格が出たときはさすがにショックではありましたが。

 

ゲームはSEGA解体の一因となったとよく陰口をたたかれますが個人的な思い入れの強い「Shenmue:シェンムー」が一押しです(別途三号館に関係グッズ等を展示していますのでお立ち寄りいただければ幸いです)。

確かに万人向けするゲームでは無かったかもしれませんが今だにコアなファン(当館館長もその一員!と自負します)が世界中にいる珍しいゲームでもあります。

ゲーム雑誌にも開発中の一押しゲーム紹介的な別版の体験版CD-ROMがおまけとして配布されましたが、それには自転車を漕いで町中を疾走できる仕様になっていたのですが、結局正規版ではこっそり自転車漕ぎ機能は削除され、自分の脚で町中を走り回るしかありませんでした。乗れる自転車どこにあるんだ?とあちこと探し回ったものです。

後日この件の顛末については自転車でどぶ板街を走り回ると衝突事故の回避と処理が大変で(わざと人にぶつかっていくケースも想定され)断念せざるを得なかったと当時SEGAに務めていた人から聞いた記憶があります。

そうそう、黒電話もいろいろかけたな~。

あっ、写真にX-Box版入ってる(笑)

 

次の写真はBiohazard Code Veronica。Dream CastのPSキラーソフトの一つでした。

空の消火器をセキュリティーボックスに置き忘れてしまい、必殺マグナムを取りそこなってしまったんですよね。すでに前エリアには戻れず悔しくてそのまま投げ出していたんでしたっけ。

結局PS2版の完全版で再度挑戦した思い出のゲームです。

 

ドリームパスポート

ドリームアイ

 

 

シェンムーシリーズ



XBOX360 ELITE

XBOX360をここに載せると怒られるかもしれませんね。

当館でもまだ現役ですがXBOX-ONEの下位互換機能の解放が実施されそろそろお役御免になるか......

とは言えつい最近までBiohazard 6やCall of Dutty GHOSTでいろいろな国の人と共闘し、フレンドになりました(最近はとんと遊んでないので音信不通..........すみません)。

ゲーマーフレンドはボイスチャットシステムを繋げていない私を不思議がりますが、リアルタイムで英語、ドイツ語やロシア語はたまたスペイン語で話されたってついて行けないっつうの。

それでもチームのチャットは聞こえますので状況はなんとか理解。

黙々とロールを果たし戦果を稼ぎながら、傷ついた戦友の救出に奔走したせいか「また戦おう!」とフレンド登録依頼が結構来ましたよ(さらっと自慢してるけど、まあフレンドにしとこうか、役に立つかもしれないしなってとこなんだろうな)。

初代の真っ白な360は2008年の年末、当時に大問題となった Dead Ring Deathの点灯問題が発生。年末にピックアップしてもらったX-BOX 360は予定通り10日で返送されてきたました。

同梱されてきた作業報告によれば丁重なお詫び状と共にメイン・サブの内部基盤の交換だけでなくDVDドライブまで交換され(高速回転時の偏心問題もありましたから)、マシン内部はほぼ別ものになっていました。

修理後の各種動作チェック・負荷テストも合格とのことでおまけにお詫びの品としてX-Box-liveの一ヶ月利用カードも同梱されていました。

米国本国での本件トラブルに対するユーザー対応ミスで相当懲りたのでしょう。

日本のマイクロソフトの対応は完璧でした。

この事件もあってXBOXにもだんだん愛着が(単純でしょ)

 

さてこの360での思い出のゲームはBIOSHOCKとFallout3です。

BIOSHOCKは水中に築かれた50年代のニューヨークさながらの巨大メトロポリスの廃墟を歩き回り、異形の凶人と化した住人達と戦いながら謎を解いていくゲーム。あの独特な水中都市の雰囲気がGood!BIOSHOCK2はそのイメージ、システムを継承してくれましたがやっぱり1を超えられなかったような..........

 

Fallout3は核戦争後の荒廃した合衆国で放浪の旅を続けながら各地で生き抜いている人達と出会いながらあるときは味方として、あるときは敵として戦いながら(ちょっとTVシリーズのWalking Deadに似ているかな)生き抜いていくサバイバルRPG。

あるガレキ置き場で助けたシェパード犬の「ドッグミート」を愛犬とし、次の目的地を探しながら荒廃した国道を歩く主人公とドッグミートの姿に感情移入し、妙に気に入ってしまった一作です。

この正当続編となるFallout4が今年12/18に発売になります。

久方ぶりにまたあの愛犬と旅が出来そうです。

 

<追記>

2009.03.24のFallout 3徒然日記より

(ネタバレにご注意。Fallout3からトライされる方は読まない方が.............)

今日Fallout3が取りあえず終了。 

中国との資源戦争(核戦争)後、自身が育った民間避難シェルタ-の一つVolt-101を捨て、ミュ-タントやレイダ-といった粗暴な輩が我が物顔に徘徊する荒廃した旧アメリカ合衆国東部で同じくシェルターから何も語らず失踪した父親を捜し、あて所ない旅をするお使いゲーム(これってシェンム-を彷彿させる)。

放浪の先々で出会う善良な人たちを助けながら、まだ稼働しているコンピュ-タ-ターミナルをハッキング(パスワード見破りゲーム)して得られる情報からこの世界が絶望的な状況に至った事実が少しずつ明らかになっていく。

100時間を越えるプレイの果てに「人類最後の希望」というカルマ称号を得てたどり着いた結末は........

 

とにかくゲーム内での自由度が高く、最初は何をしていいのか判らない。

所行次第で悪にも善にもなれるし、何が正しいといった設定すらないような状況下で100箇所近い場所をくまなく見つけ出し、各地のイベントをクリアしていくことで主人公が生まれる前に起こった資源戦争の全容、そもそも自分が育ったVoltとは何なのか、そしてなぜVolt101だけがいまだに稼動しているのか、他のVoltの住人はどうなったのか、ミュ-タントがなぜこんなにはびこっているのか、そして誰の言うことが正しいのかといった謎の全容がほどけていく壮大なゲーム。

最短の探索ルートで結末に到達できる運のいい?人もいるだろうがここは全箇所踏破すべきかな。とはいえ自分も残念ながらホワイトハウスの廃墟へはどうしても到達できませんでした(あそこへはどうやって行くんだ?)。

結構序盤で父親に再会してしまい、まだ一緒に行けないと同行を断ると父親はこの探索に満足するまで待っていてくれる。その後に父親の失踪原因とも言うべきある重要なプロジェクトの達成に協力を申し入れ「これで終わりかな?」と思ったら大間違い、ここからが話の佳境なのでした。

そうそう、レイダ-に殺されかけていたシェパード犬のドッグミ-トを救って新たな飼い主として行動を共にすればまさにウィル・スミス主演の映画「レジェンド」:オ-プニングにもこの情景を描いた挿入絵があるから薄々気づいていた人も多いのでは。

終盤には今まで強敵として行く手に立ちはだかってきたス-パ-ミュ-タントの味方までも出来るのだが、結局行き着いた結末はまさに映画「レジェンド」を地で行くエンディング。

まあ幾つもあるエンディングの一つ、グッドエンディングなんだろうけど...。

ステイトホテルの屋上にスーパ-ミュ-タント達に追い詰められ篭城していた部隊の脱出を手助けした功績で仲間に迎えられたレンジャ-隊の拠点に預けた愛犬ドッグミ-トの行く末が気がかりながらもまあレンジャ-隊の四人はみな善良だから大丈夫だろう、メガトンに築いた自家に置いてかないでよかったか。

ドッグミ-トに「安全なVolt101に行け」という命令の選択肢があるところを見るとVolt101に再度入れたのだろうか?一度自分を追ってか勝手にVolt101前に行ったし。

 

とにかくやり応えのあるゲ-ムでありました。

ああ、でも当分ギャラクシ-ニュ-スラジオから繰り返し流されるあの脳天気なポップミュ-ジック「Civilization」が頭から離れないだろう(笑)。

 

Red Ling Death

 

 

DVD高速回転時に

発生する同心円状傷

事前予定通りの帰還

 

 

当館一押し360ゲーム

私は善人(笑)

 

 



PLAYSTATION 3   60GB  SONY

PS3をこのコーナーにとうとう出しちゃいました。

X-BOX360も出してることだし、正式サポートもすでに終了しています。まあ怒られないでしょう。写真は販売直後にゲットしたPS3。

当時早速メール等で友人達にゲットしたぜと自慢げに送った画像です。2006.11.11販売ですからもう10年近くになるんですね。

当時の日記を.........

「冷たい雨の降りしきる路頭で徹夜してまで手に入れる気はなかったPS3 60GB。

それでも地元の量販店前には入庫6台分の PS3の購入希望者が寒そうにお店の用意したパイプイスにカッパに傘の姿でおとなしく座っている。前夜からか?いやはや.....
発売当日の11/11に地元の量販店で並ばずに次回入荷分予約券はゲットしたものの、予約券には年明けの商品お渡し予定と.....とほほ?
翌日の日曜にたまたま出かけた上野のヨドバシカメラでは20Gが 10台ほどカウンター内に山積みになっていた。再入荷だと?
でも20Gモデルはいらないも~んとばかりその日は帰ったのだが、家に帰るとやっぱり押さえておくべきだったか?とちと後悔の念も。でも予約券があるしねとその場は押さえた物欲は月曜になって再燃しはじめたのでした。
どうせ帰り道だからと会社帰りに再度ヨドバシによったら、なんと6台ぐらい60Gの再入荷が。ハハハと不抜けた笑いを浮かべて即買い!
でもやっぱり20Gは売れてなかったね。まだ残ってるかも。
帰って取説をみたらどうもHDは後日の容量アップを考慮した簡単スロット設計で、PCで内部増設したことある人なら簡単にできそうだし、メディアスロットはUSB外付けカードリーダーやHORIのPRODUOメモリースティックリーダーで済みそうで20Gモデルも結構選択の余地があるかも。
それにしても重い、でかい!のPS3。翌日会社の同僚はなぜもう一台買っといてくれなかったかと攻め立てたが2台も持って歩けんわ!こんなもん。
新年まで手に入らなかったら譲ってあげるからね、予約券を。同僚君よ 」

当時としては大容量の60GB HDD、Blue Rayディスクの再生機能にHDMIを搭載、東芝と共同開発したCELL CPUに汎用外部OSも組み込み可能。完全対応ではないものの旧PS/PS2下位互換機能と技術的な目玉てんこ盛りのマシンでした。

300w越えの消費電力の発熱にはさすがにびびりましたがこの高性能をタイムシェアして公共の研究に無償寄与できる分散コンピューティングプロジェクトとかソフト面からも幾つもの新機軸を展開していました。

ただその後リバースエンジニアリング防止とセキュリティーの関係で(なんか被害があったのか)サードOS搭載機能の停止をソフトウエアーアップデートで所有者に要請(許諾しないと以後のアップデートは受けられなくなる)、次のマイナーチェンジ機からは下位互換機能も除かれ(初期品はそのまま使用可能)とSONYの経営的迷走そのままに数々のお気に入りサービスが打ち切りになっていきます。

結構課金サービス内アイテムに投資した方も多かったのではないでしょうか?

SONYの開発技術陣やサービス企画担当部の悔しさがひしひしと伝わる様なお詫びの数々にかわいそうな位でした。

まあPS4でなんとか息を吹き返してくれているのはうれしい次第。

当館ではこのPS3がPS4の横でまだまだ現役健在です。

 

ゲーム類はまた日を改めて.........

 

 


PS4Proがやってきた。

12月に入り途端に品薄になっていたProをやっとこさ入手です。

さすがに初代PS4とは異なりこのProは初期不良もなくさくさくと動作中。

(初代はひどかった.......予約購入で届いた本体は起動後翌日にしてシステムエラーメッセージが表示されアクセス不能に。すぐにサポートへ連絡したら新品交換の形で戻ってきましたが.............)

数年前にサポート切れとなった初代PS3を一台お蔵入りさせての差し替えです。

300w越えの電力消費量は初代PS3とほぼ互角。発熱はさておき稼働中の騒音はほとんど皆無で静かなこと。まあPS3にはUSB電源連動の4連クーリングファンつけてましたから........。

でもこのProもサードパーティー製のファンクーラーが出たらつけないといけないかもしれませんね。

接続している液晶テレビが4Kではないのでその性能は生かし切っていませんがそれでも無線LANが802.11acに対応したのは👍。

 

今はやっと日の目を見た「人食い大鷲トリコ」の背中に乗っていい子、いい子をしまくっているところです。トリコの耳の後ろあたりがベスト「いい子スポット」かな?

大鷲といいながら忠実な番犬の様なトリコになってきました。

トリコの羽根ひとつひとつがわらわら飛び散り、光を通して目の前で風に揺れるのは綺麗ですね。

 

うーん、トリコは死ぬのか???

そのストーリー予想からエンディングに突入できず、ゲームは途中で永久封印か.........(なついたお供が死ぬのは見たくない.........)

 

 


PlayStation VRを定価でゲット

まだまだ生産が追いつかないのか、流通機構の問題なのか、ネットでは転売業者の在庫は結構みかけるものの、巷の量販店では「在庫無し」状態が続くPS4-VR。

次作のエースコンバット7(2018年リリース予定)がこのVR対応となると聞いて今まで無視していたVRにちょっとばかり物欲が。

今年中にゲットできればいいか?と思っていたところ大荒れとなった7/19のあの雷雨の中、雨宿りに飛び込んだ上野のヨドバシカメラのゲーム関連フロアに「再入荷」の張り紙が。

うーん、まださほど切迫した状況ではないんだけど............これも縁かな?と単体セットを購入しておきました。

新型PSカメラ同梱版も入荷していましたがすでに持っている旧PSとはカメラ本体の仕様・性能は変わらず薄型テレビ上へ設置しやすいデザインと専用スタンド付きといった変更点のみであり、VRとの接続には別段問題なしと聞かされていたのでこちらを選択(節約、節約)。

サードパーティーから旧カメラ用専用スタンドも1000円程度で発売されていますしね。

さて次号でセッティングと初VR体験を.....

 

 

旧PSカメラ用TVマウントホルダー

使用に全く問題ありませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PlayStation VR初体験......

まずは同梱されている大判横開きの接続手順を見ながらPlayStation 4proに接続開始です。

まあ、この手順書は贅沢な紙面構成で1ステップ(1回路接続)毎に捲りながら進めていきますのでまず誰でも接続作業は完了するでしょう。

次いでPlayStation Cameraによる顔認識調整を済ませた後(すでに完了済みの方は不必要)、VRゴーグルを被って、PSの設定画面からVRの調整を行います。

 

まずゴーグル内の画面の大きさはデフォルトの「中」で表示されます。

ちょうど小さめな映画館の中にいるような雰囲気。まずこの雰囲気に結構興奮させられました。

明るさやPSカメラとVRゴーグルの位置調整、ゴーグルのフィットを微調整してリンク完了。

すべてVRゴーグルの液晶画面内とコントローラーで調整できます。

今回無料のPlayStation VR RoomをPSストアーからダウンロードして最初のVR体験を。いやいや、舐めてました。ここまでリアルだとは........

このVR Roomでは幾つかのアプリが楽しめるのですがまず自室をアミューズメント施設に早変わりさせる基本ルームをセレクト。

目前のテーブルが左右に割れ、床からクレーンゲームマシンがせり出してくるころにはほんとうにバーチャルルームにいるような感覚になります。

まずはもらった10回分のコインでクレーンゲームを。

アイテムをゲット(くそ、一回しくじった)でバーチャルルームをデコレーション。

カプセルからでてきたアイテムは自由にその精緻なディテールを見られます。

取り敢えずアイテムを消すと、これらは目前に広がるテーブルに配置され、個々動き出します。

ドールハウス的なディスプレーコレクションを中心に、モノレールやポッドレーサーが部屋を走り回り、テーブルにはプールサイドやバーも。棚にはお化け屋敷といったディスプレーも出来上がり、いやいや全部ゲットするのにどれだけ時間がかかるのでしょう?

コインはその他のルームでゲームを遊んで報酬としてゲットできます。

 (アイテムを全種類ゲットするとこのクレーンゲームは自動的に収納されてしまいますのでちと残念...........)

振り返るとちゃんとマスコットロボットがずらっと並んで立っていますし、夜なら天井を見上げるとガラスドーム状の窓越しに大きな月が輝き........

あとは足元さえ表示されたら完璧なんですが(まあゴーグルにカメラが内蔵されてませんからMixed VRは無理ですね)。

この程度の過激な動きの無いVR体験なら30分、1時間程度体験していても気分が悪くなるようなことはありませんでした。

ただ体験を終わってゴーグルを外した後、30分位してから頭がすこしふわっとしたような感覚を味わいましたが、個人差もあるのかもしれません。

このPlayStation VR、ちょっと高いかなと思いましたがこの体験だけでも満足です。

次はX-Wingに載るぜ。

 

液晶テレビ画面で御勘弁を。

ヴァーチャルリアリティによる自室のこの変わり様を.........。

コイン1つで一回できるガチャポンでゲットしたアイテム類が次々と部屋のあちこちにレイアウトされ、すべてが同時に動いています。

自身はちょうど楕円形の部屋の真ん中に座りこれらを見回す形になります。

その仮想空間の出来の10%でも伝われば良いのですが。

 

カウンター左翼

カウンター正面

正面の天井

 

 

カウンター右翼


X-Wingに乗ってみた(なんてね)

STAR WARS BATTLEFRONT

X-Wing VR Mission

今回唯一のVRミッションは別途ダウンロード(無料)になります。

反乱軍のXウイング新人パイロットレッド4として要人を乗せた輸送船の護衛をしながら襲い来る帝国軍のタイファイターを迎撃し、スターデストロイヤーの砲火の中、輸送船を無事脱出させるミッションでした。

72機以上のタイファイターを撃墜しても15~20分程度のVR飛行でした。

気分が悪くなったとレビューしている方が多い中、続けて3回連続飛行しましたが不調は感じられませんでした(鈍感なのか?)。

最初に基地に駐機しているX-ウィングのコクピットに乗り込むと手にしているコントローラーのボタン以外にもコクピット内の各種ボタンが操作できます。視線を合わせAボタンを押す形ですがウィングの開閉から左目近傍に戦術データコンソールの展開まで(VRでお見せできないのが残念です)。

「鉄騎大戦」以来の興奮でした。

 

 

PS Camera Adapter for Playstation 5

2020.11.07

昨日SONYから無料配布サービス中のカメラアダプターが届きました。

このアダプターPS5でPS4用VRカメラを接続するためのもので、旧PSVRシステム保有者にはVRプロセッサーボックスに張られている管理番号を添えて申し込むと無料で送られてきます。

同封されたレターが保証書になってます。

 PS5もないのに先にアダプターだけかって?

いやいやそこはですね........

実は当館、ヤマダ電機の予約抽選に当選していたのです。

9月30日正午にメールが届いてました。

当時他の量販店の予約抽選も含め、当たった方、外れた方のSNS報告オンパレードでしたね。

当館はヨドバシ、ビックカメラのポイントカード購買履歴のWebshopポイント との統合手続きを期間内に済ませていなかったため両社の予約参加は断念。SONY Storeとヤマダ電機の二つに賭けました。まさかの当選メールでした。

とは言え、抽選予約戦線での連敗を嘆く声の多さに当面ご報告は控えておこうと。

でもこれで初代PSからPS4まで続いていた日本販売初日(PS3だけは初日は次回予約券もらい、実機ゲットは3日後だったか)ゲット記録を途切らさずに済みました(何の自慢だか........)。

 

一週間を切ったPS5の日本国内発売初日。

PS5のお披露目報告も予定してますのでお楽しみに(だれのお楽しみじゃって怒らないでね)。

 

 


Playstation 5がやってきた。

2020.11.14

予約抽選に当選したPS5の受渡し取次店が11/12の日本発売日当日が定休日だったため、本日取りに行ってきました。

皆さんが言うほど重くはないのですが遠い昔、会社帰りのPS3をぶら下げながらの帰宅時を思い出しました。

それにしても店内でのPS5在庫保管が厳重でしたね。本人確認やら登録確認やら受け渡しに結構時間がかかりましたがやっと本館に到着です。

 

箱の中身はこれだけ(後は2冊の薄い説明書のみ)。

とりあえず初代PS3と仮リプレースして動作確認とアカウント登録等を実施しました。

毎度の儀式、最初の初期本体設定ではデジタルネットワークマシンとしてセキュリティー対策項目に力が入ってます。

またUIも歴代PSシリーズから続いていた独自路線でのステップアップ的な改良から今回大きく様変わりしてちょっとX-BOX系のそれにも近いような.......

でもとにかく動作時は静かです。

一番困惑した点がDVD等のディスクの挿入方法。横置きも可能となっているためか今まで縦置き式では当たり前だった右側レーベル挿入ではなく左側レーベル挿入となってます。PS5が「ディスクを認識できない」と警告を連発し、裏表間違えてませんか?と聞いてきます。「えっ、そんな馬鹿な.....あっそうか、このPS5では本体左側が上面になるんだから........レーベル面を左にしないと......」初期不良かと一瞬冷や汗が出ましたが解決です。

後は決定ボタンの〇からXへの完全移行はすでにPS4「No Man's Sky」で訓練済みでしたので問題なし(っていってるそばからまた間違えた.....)。

確かに今までX-BOXで一時期遊んでからPSに戻ると(その逆もしかり)数日は大騒ぎの日々でしたからこれはこれでいいのかも。

 

同じ350w級の初代PS3との大きさ比較です

 

 

同電源コード。

上が初代PS3、下がPS5。

まあこのスリム化はPS4-Proからでしたけど如何にPS3の電源コードが厳つかったかを.......


Black Face PS5

館長使用中の現役ゲームマシンはすべて黒仕様。

中世の近衛兵の様にそそり立っているオリジナルPS5は異様な姿で鎮座しています。

このサイドプレートをサードパーティー製ブラックプレートに交換してみました。

作動中の本体ホワイトイルミネーションが結構目立つようになります。

 

そうそうゲームプログラムのインストール用(といってもPS4ゲームだけでけどね。PS5のゲームは保存だけ.....)に外部ストレージが使えるようになって大容量SSDの接続が必須となってきましたね。

 

そして待望の内部のM2.SSDスロットの開放へ。

これでゲームのインストール容量のやりくりに困らなくなりました。

 

 


Final Fantasy Ⅶ 

CRISIS CORE

ちょっと前の話になります。

FFⅦ REMAKEのエンディングは唐突ながら瀕死のクラウドを担ぎながらミッドガルドに歩を進める魔晄戦士のザックと新たな旅に歩を進めるクラウド達の二つの時間軸が異なる映像がすれ違うという粋な演出で終わりました。

このザックとクラウドのエピソードが語られるのがFFⅦの七年前にさかのぼるこのCRISIS COREです。またまた古い話で.......

当時の人気機種PSP版のみでリリースされ、ご覧のような特別バージョンのPSP本体・ステレオヘッドフォンとのセット販売も企画されました。

今となっては貴重でしょ(笑)。

今回リビングを掃除していましたらソファーのサイドテーブル奥から数個のPSP(なんでこんなにPSDS買ったんだか.....)とともにこの特別版パッケージをサルベージ。

本編はおぼろげな記憶しかなく、リメイクの続編が出るまでにもう一度やってみるか.......と。ザックの「いらしゃいませ~!」のきめ台詞を聞きに。

 

肝心なリメイクの続編についてはすでにスクエニ関係者から開発がスタートしているとも、いや中止状態だといった幾つもの情報が巷に乱れ飛び........

シェンムー4とともに早く続編プレイの希望が膨らむばかり(今編の召喚獣全部ゲットしたんだからさ......どうかバハムート召喚させてくれや→最近徒然のやり残しクエスト達成の旅で召喚できました!)

 

2023.09

追伸

三部作の二部となる続編は2024年2月発売が告知されましたね。

みなさん予約しました?

 

 


XBOX-ONE リタイア!

2014年の日本発売開始日に近くのヤマダ電機で購入したDay-1 Editionが突然というかとうとう機能停止に。

既に製造・修理サービスも停止されており、泣く泣くリタイアへ。

SONYのPS4のライバル機種として登場した本機もすでに10年選手。

 

数日前久しぶりに電源Onしたところシステムは立ち上がるのですがサインイン画面でブラックスクリーンエラーを起こして何も進まい状態に。

サインインの音声命令を認識したKinectもただ「コントローラーからサインインしてくれ」の一点張り。メイン画面が表示されないのにどうしろっていうんじゃと対処法を探したところ、どうも同機は似たような症状が結構発生している様でした。

対処法としては本体のリセット起動法(左側面のコネクトボタンとDVDイジェクトボタン、電源ボタンを同時に長押しする)で起動。再設定画面で設定を引き継ぐか完全初期化するかの選択で対応可能と。

この方法で起動設定に成功しサインインし、動作確認と再起動まで問題なしを確認できました。

ただこれで話は済まなかった.......。

その数時間後には本体の電源ボタンが入らない状況になっており電源周りの自己診断プログラムを使っても状況は変化せず結局本体の内部故障とあきらめることにしました。

まあXBOX-360もまだ現役故にMicrosoftのXBOXアカウント等の再設定もできるので困りはしないのですがやり込んだFallout 4(たまに今でもウエストランドを気ままに散歩してるんですが)をどうしよう?

アマゾンで最終的に最後の一台(笑)の新古品XBOX-ONE-Sが安く手に入り、XBOXクラウドサーバーから前機の設定/データをシンクロさせて完了。

こちらも製造がすでに終了している機種とは言え初代のONEから性能/機能がブラッシュアップされたSONYのPS4 Proの立ち位置にある機種ですし。

 

ご苦労様、XBOX-ONE。

 

 

 


2023.10.25

Nintendo DS Collection

リビングのソファーのコーナー収納庫にこれらの歴代DSが並べて入っているのを発見。

幸い充電器も残っていましたのでまずは永らくの冬眠からさめよと充電動作確認を決行。

歴代DSは充電器の接続口形状が2タイプあり、各2個づつ一緒に入っていましたので充電は結構はかどりました。

 

スイッチOnで皆画面は点灯。日時の再設定、WiFi接続で本体更新を済ませました。

これらは通常2次元画面のDS(下段)と裸眼立体視画面を搭載した3DS(上段)に分けられ、かつ投入時期に応じて初代、その小型軽量型のLite、Liteをベースに本体にカメラを組み込んだDSi(DSでは外部スロットにカメラを入れてました)、画面を大型化したLLがあり、その後は本体の着せ替えができたり、機能を除いた廉価版が幾つかマイナーチェンジものとして出ていたともいます。

3DSは最初から外部カメラを複眼カメラレンズ搭載として立体写真や立体動画が撮影できるのも売りでした。

それぞれのマシンに入っていたソフトカードのオープニング画面とともに各マシンをご紹介。

 

DS

大人の常識力トレーニング

大人のたしなみに.....

DS i LL

ファイアーエンブレム

新・紋章の謎

DS Lite

ビジネス英会話トレーニング

ちゃんと勉学にも.....

3DS

BIOHAZARD

The Mercenaries 3D

 

DS i

 ニンテンDogs

ずっと飼ってるバーチャルペット 

3DS LL

Monster Hunter 4G


今のところ一緒に見つかっったカード類。お料理ナビなんてつかった記憶が......

一時期ハマった脳トレとかどこにあるんだろう。

 

 


Nintendo Wii  U リタイア

データのSwitchへの移管後、永らくそのままリビングの液晶TVに繋げっぱなしだったWii Uもとうとう断捨離ついでにリタイアお蔵入りとしました。

当時初代Wiiからのデータ移管に手こずりながらもなんとか運用開始したものの任天堂が仕掛けた新たな試み、リビングの大型TV接続オンリーから脱却すること(いつでも、どこでも遊べる:まあ隣の部屋位なら)を目指したコントローラー一体型のハンディータブレットWii U Game Padが異様に重く、長時間これをもってRPGするのはシンドイという欠点も露呈。プレミアセットには同梱されていた立て掛けスタンドにおいてプレイすると今度は一体型コントローラーが使えずに別売のクラッシックコントローラー等が必要という次第。

まあこの辺が次のSwitch開発への大きな改良点となったんでしょう。

とはいえ最近世間を騒がせたPS5専用の「PS Potal リモートプレーヤー」などはまさにこのWii Uのコンセプトそのまま。コンセプトはよかったということなんでしょう。

 

ちなみに初代WiiはこのWii U移管後に里子に出してしまったので写真がありません。

 

ストラップ付Wiiハンディーリモコンで狭いリビングをスポーツセンターに変え、一世を風靡した初代Wiiと現主力マシンSwicthとの橋渡し的な位置づけの様になってしまった感は否めず、販売台数も先代のWiiには遠く及ばなかったマシンですがこれは先代Wiiがあまりに売れすぎたということもあるのでしょう。

それゆえに家庭にいきわたっていた先代Wiiハンディリモコンシステムをそのまま引き継がざるを得なかったのかもしれません。

 

先代Wiiに引けを取らない隠れたエポックメーキングマシンだったと思います。

当館館長、本来は任天堂フリークじゃないのですがマシンのいいところはちゃんと褒めたいですね。

 

ゲームソフト類は的この次に.......

 

 


New NeoGeo Pocket Color

当館唯一のSNKマシンでこれも令和5年断捨離を兼ねた所蔵庫大整理で出てきました。

1998年10月、ほぼ同時期にながらちょっと早く発表されたGame Boy (Pocket) Colerに対して画面のカラー化で見劣りした先代モノクロ版Neogeo Pocket 。その液晶画面を急遽カラー化して約5か月後の1999年10月に再投入されたNeogeo Pocket Colorの安価版マシンです。

 

今回は専用外部電源をつなげてますが単三電池二本で駆動。

当時流行ったスケルトンのクリアボディーです。

 

挿しているゲームカードは伝説のオウガバトル外伝。これがやりたくて買ったマシンだったような。

 

 

そしてこちらが一緒に出てきた対抗機種のNintendoのGAME BOY COLOR。

先代モノクロGame Boy Pocketの上位互換マシンということでPocketの専用キャリングポーチに入ってました。

こちらもスケルトンタイプ。

ただただ遊んでいたんじゃなくちゃんと勉強もしてたんですよ.....

 

 

 

 

 

 

 

 


Playstation Vita

現状SONY最後のハンディーゲームマシンとなっているVita。永らく展示を忘れてました。

ニンテンドーDSとともに携帯型ゲームマシンとして一時代を築いたPSPの後継機として2010年にデビュー。

当時は携帯ゲームのプラットフォームの主流として頭角を現しだした携帯電話(まだレガシーフォンとは呼ばれていない時代でした)や登場してまだ4~5年の多機能スマートフォンに対抗すべく、本体にセルラーフォン機能を付加したマシンも併せて投入。写真も予約で手に入れたそのセルラーフォンタイプ。DOCOMOとの3G回線契約が必要でした(回線契をしなければ携帯ゲーム単体マシンタイプと同じ)。本体には100時間分のプリペイド式データ通信プランが同梱されてました。

 

当時は第三勢力としてAppleがタブレット型多機能PC、iPadにセルラフォーン機能を付加したタイプを一年前に出して携帯ゲームの覇者に参戦(Appleは単に何でもできるタブレットを目指しただけでしょう。数年前からiPhoneも出していましたし)結局多機能化がどんどん進むスマートフォンに携帯型ゲームプラットフォームガジェットの座を奪われてしまいました。

まあ今はNintendoのSwitchが旅先で遊べる携帯ゲームマシンとしてひとり気を吐いていますがさすがに通勤電車内等で手にして遊んでいる人はいませんね。移動中ではなく移動先の空間で遊べる持ち運びのできる生粋のゲームマシンという位置づけなんでしょう。

 

画面のゲームはコーエーの三国無双NEXT。

 

果たしてこの先生粋のポータブルゲームマシンは再び復活するのか、このままスマートフォン一強で終わるのか.......

 

すべてはNinntendoの次期Switch 2が決めてかな.....

 

 

 


思い出の予約特典(ゲームソフト篇)

2016年暮れの大掃除で小さな段ボール箱が2つ出てきました。

中は数十年来購入してきたゲームソフトやDVDの予約特典等。

一部掲載済みのグッズと併せて再度整理をしました。

Helo、Final FantasyやBiohazardシリーズに加えて懐かしのソフトの特典も。

「Not For Sale/非売品」の文字にどうしてこうも弱いのか......

 

龍が如く 東城会バッジ

昨年12月シリーズ最終章としてリリースされた「龍が如く6 命の詩」。

シリーズ最初の「龍が如く」発売時(2005年12月)にドリームキャストダイレクト予約特典として付いてきたのがこの東城会のバッチでした。

ソフト購入後には抽選で桐箱入りの大紋セットが当たるというキャンペーンも。

これがほしかった...........

 

 

Devil May Cry 2 

チョーカーペンダント

スタイリッシュアクションゲームというジャンルを掲げ、如何に美しいコンボ技を決めて敵を倒すかが高得点を稼ぐ決め手のゲームの走り、デビルメイクライ。

何がスタイリッシュなのか理解もせずに「敵から一撃も食らわずにさっさか敵を駆逐すればスタイリッシュなんだろ!」と最初はやたらと適当なボタン連打で得点を稼いで剣や銃をグレードアップしていくのですがそうは問屋が卸さない!

如何に格闘系対戦ゲームが下手なのかが判ってしまうこの性格には困った物です(Shenmue位だな、必至に技を繰り出すボタンの組み合わせ覚えたのは)。

そうそう「鬼武者」もこの系統でしたね。

 

 

HALO2 マスターチーフ KUBRICK

HALO2ではT-Shutsとペンケースに入ったドッグタグ(認識票)が付いてきましたが、応募すると抽選でマスターチーフのキューブフィギュアが当たるというキャンペーンも追加されていました。

これは運良くキャンペーン当選しゲットした景品です。