アメリカの客船


United States Line

SS United States

ユナイテッド・ステーツ

赤地の上部に白のストライプを配し青のデルタフィンを付けたトップを置く米国国旗を表すファンネルで有名なユナイテッドステ-ツライン(USL)のフラッグシップ、ユナイテッドステーツです。

米国の威信を賭けた高速豪華客船として建造され、現在も西回り航路のブル-リボンを保持し続ける本船は平均速力38ノット、最高速度で40ノットを出せたといわれる韋駄天大西洋横断ライナ-でした。

東回り航路のブルーリボンはその保有資格で物議をかもしたホバースピードグレートブリテンによって奪われてしまいましたが、本船のこの高速航海性能は第二次大戦での経験から戦時に艦隊護衛を必要とせずに単独で大量の兵員物資を迅速輸送できる大型高速輸送船に転用することを目的としたものでした。

船体上部構造にアルミニウム軽金属を多用して大幅に軽量化した船体に、大出力のエンジンを搭載。加えて当時は海面下の船首・船底構造までがその高速性能ゆえに極秘扱いとされた逸話をもつ船です。

船内の内装にも戦火の中を駆け抜ける不燃船とするためにMill Standard Spec(軍仕様)を適用し、木材を極力排して金属やガラス等の不燃素材に限定しました。当時とすればモダンな内装にはこんな理由も隠されていたのですね。

豪華客船の社交場であるボールルームのグランドピアノまでアルミ製にする予定だったらしいのですがさすがにそれはムリな話と結局難燃性の国内最高級木材を調達して特別に造らせたものだったとか。

建造当時は幾つもの政府機関がその登録管理を分担して受け持つことで、この船が簡単に他国に売却できないようにされていた位です。この船は運航会社の旗艦にとどまらず、まさに合衆国のナショナルフラッグシップだったといえます。

USLがパッセンジャ-サ-ビスから撤退するにあたり、本船も政府管轄に移りモスボ-ル(腐食劣化等を低減するための特殊樹脂による封印処理)を施され永らく係留されていました。

時は過ぎ、その後も時限的に所有者を転々としながらも結局係船状態が続き、近年は廃船同様の状態でした。

あの豪華客船SS FRANCEをフレンチラインから買い叩き、クル-ズ船に転用してそれなりに成功した(当時は本船ユナイテッドステーツも購入候補だったとも)ノルウェ-ジャンクル-ズ(NCL)のアメリカクルーズ部門が再びこの船の再生に名乗りを上げ売却が決まったことで今度こそクル-ズ船としての第2の人生を歩むかに見えたのですが2匹目の泥鰌は何とやら、船内に多用された有害な不燃材アスベストの除去や運行コストの合理化のためのエンジン周りの改造に予想以上にコストが掛かることが判明し、当時傘下のアジアの新興勢力のスタークルーズに買収されたにも関わらず業績低迷に歯止めのかからない親会社のNCLにはクルーズ船への転用計画の実施はままならず、そのままの状態で再び放置が続きました。

2009年にNCLが本船再売却の意向を示し、今度こそ廃船解体か?という状況に至ったのですが、民間財団(同船の熱烈なファンの集まりでもある)らの本船保存への働きでなんとか解体は阻止され、本年2月には正式に所有権が財団側に移りフィラデルフィアのウォーターフロントパーク計画やニューヨークでの保存計画等の調整が進んでいるとのことで、なんとか安住の地を得られそうですね。めでたし、めでたし。

 

このモデルについて

Tri Angのおもちゃ的な金属モデル(というと失礼かな?)。オークション品で船体塗装のはげ等はほとんどなく比較的美麗でしたがブリッジのレーダーマストは欠損、船体前後のクレーンマストは最初からあったのかその痕跡すらありませんでした(写真1)

ただファンネルは無傷で2本とも残っており、船体シルエットがなかなかのもの。入手希少性(当時ほとんど出回ってなかったのです)とジャンク扱いの価格を考慮して購入を決めました。

届いたこのモデル、5万t級の船でありながら往年の7万t級オ-シャンライナ-、クイ-ンメリ-、ノルマンディ-やフランスと比較しても引けをとらない巨船であることを今更ながら認識させられこんな縮尺か?と実船デ-タを調べ直したところ間違いはない様です。

修正箇所は以下の通り。

1)中古品ですので洗剤で汚れを落とし、まずは船体の塗装剝げと船体塗り分けラインを微修正。

2)ファンネル塗装の赤と青のお色直し。

3)第一ファンネルの前方突起を自作追加、ファンネル上後部グリルをインレタで表現

4)船体各層デッキを全面的な変更塗装

 (Revelの古いプラキット組み立て説明図の塗装指示記載を信じて…..)

5)船首、船尾のクレーンデッキの追加とアルミ色塗装

 (マストは氷川丸パーツから、ブームは真鍮線にて加工)

6)ブリッジ天井部の小物造形とレーダーマスト(アルミ色塗装)の自作追加

7)側面船窓の墨入れとインレタによるブリッジ窓、ハウス前・後部窓のアレンジ追加

8)サンデッキ等に引かれていた遊戯コートの白ラインを追加

 

何とかUnited Statesに見えますでしょうかね?

(最近MercatorのUnited Statesの新品をShopで見つけましたので後ほど写真をアップします)

United States (Mercator版)

デッキが塗装されていますがUnited Statesのデッキはグリーン系だったような?

まだ改修作業はしていません。

船窓とファンネル上部グリルを黒で墨入れしようと思っていますがいつになることやら.........

 

船首

中央部

 

 

船尾



American Export Lines

SS Indipendence

インディペンデンス

アメリカの造成所で建造され、アメリカの海運会社によってアメリカの国旗を誇らしげに掲げ運航されていた生粋の米国豪華客船 S.S. Independence、2万3720総t。

姉妹船のS.S. Constitutionはあのハリウッド女優グレースケリーとモナコ公国レーニエ国王の船上ウエディングパーティーが催された(タイムリーに映画も公開されるようで)船としても有名です。

American Export Linesがベツレヘムスティール(Bethlehem Steel Corporation)に発注・建造された同船は外洋定期航路客船として1951年にサービスを開始し、主に大西洋航路等で活躍しました。しかしながら御多分に漏れずその後の大西洋定期航路衰退によって同船も極東サービスに回され、さらにはハワイを拠点としたクルーズ船に変身します。

ユナイテッドステーツの係船後、当時米国国旗を掲げる唯一のクルーズ船として根強い人気をもっていた同船(姉妹船Constitutionは先に引退し、1997年にスクラップヤードへの移動中に沈没)も2001年にはハワイ拠点のクルーズサービスを終了し、サンフランシスコにて永らく係船放置されていました。

係船中に幾つかのオーナーを転々とし、一時はNorwegian Cruiseによって同じく係船状態であったあのS.S. United Stateとともに再復活させる計画がぶち上げられましたが結局これも実現することはありませんでした。

転機は2006年に訪れます。Oceanicと名を変えて新たなサービスを再開するかと思いきや、紆余屈曲の末に結局インドでの解体が決まり最後の航海に向かったのですが有害物質の国際間移動を規制するバーゼル法に触れる(古い船なので防火材にアスベストが使われていたり、発電機器にPCBが使われていたようで)とインド政府からスクラップヤードへの接岸を拒否され(S.S.Franceの経緯と同じ)同船の登録国であるアメリカに送り返すインド政府の命令が出されるに至り、結局ヤード沖合に放棄状態とされました。

2011年、当地でモンスーンに遭遇した同船は永年の船体劣化も重なってか船体が2つに破断、沈没してしまいます。

United Stateはいまだに係留保存されていますがこのIndependenceも米国の誇りとしている人々には残念なニュースであったでしょう。

 

このモデルについて

船の紹介が長くなってしまいましたが入手したモデルはCMKR社1/1250スケールダイキャストモデル。

定期航路就航当時の黒と白のシックな姿だった時代のもので小粒ながらモールド等もしっかりした出来の良いモデルです。ただ今回入手したロットは久々の再販品のようで細かいところに型痛みやモールド潰れ等の甘さも散見します。

行った改修作業は以下の通り。

 1)まずは黒と白の塗り分けライン、喫水線の黒と赤の塗り分けラインを修正。

 2)輸送中に取れたり、曲がってしまったマスト類も真鍮線で再生・修正。

 3)今回デッキの塗り分け作業は適当なところでパス!

    多分美しいウッドデッキだったはずですが手持ちの資料に当時のカラー写真が

    少なく、俯瞰構図のペイント調ポスターとクルーズシップ時代のプールデッキの

         カラー写真から、明るいライトタンの様に見えましたのでとりあえず塗装実施。

 4)プロムナードデッキの舷側窓は繊細な凹モールドですので今回は黒インキの流し

    込み手法は使わずにシャープペンシルで黒鉛を擦り付けていくこととしました(修正が簡単だし)。

 

改修前

改修後後姿

 

 

船首部

中央部

船尾部



Moore-McCormack Line

SS ARGENTINA 

アルゼンチン

Mr. Arbert Moor とMr. Emmet McCormackの二人の創業者の名をとった米国老舗のシップカンパニーMoore-McCormack Line:ムーア・マコーマックライン最後の南米航路向け豪華客船SS ARGENTINA:アルゼンチン。米国で建造された最後の定期航路用豪華客船でもあります。姉妹船のBRAZIL:ブラジルとともに同社先代のシップ名を引き継いでほぼ2隻同時に建造されました。

総t数1万6千足らずの客船ですが米国政府がその建造費用として2000万US$の負担をすることで1956年に新造が決り、2年後の1958年に就航しました。この政府の補助金額はほぼ一隻分の建造コストに当たります。

発注は米国老舗造船所のIngalls:インガルス に決まり全米各州がいずれかの部分を受け持つ形で建造に参画しました。これはSS United Stateの建造時と同じです。

純白の船体中央に黄色と緑のツートンカラーに塗り分けられたダミーファンネルを載せ、そのファンネルがスカイラウンジとなっているのが売りでした。

このファンネルにスカイラウンジを配置するアイデアは日本船パシフィックビーナス、オリエントビーナス姉妹を始め、RCCLのクルーズ船に自社のトレードマークの様に採用されていますがこのアルゼンチンとブラジルの姉妹が初の試みではなかったかと思います。

航空機による空路輸送の発展に伴い、この姉妹船による定期航路サービスも赤字続きとなったマコーマックは両船の運行停止を政府に打診しましたが許可されませんでした。その後も政府の運行補助金を受けながら運行を継続するものの赤字を垂れ流し続け、結局クルーズ専用船に改装されてHAL:ホランド・アメリカラインを筆頭にいくつもオペレーターに渡り、その都度改名を繰り返しながら2004年についにスクラップとなりました。

 

このモデルについて

モデルはCMKR社製1/1250スケールの亜鉛ダイキャストモデル。

このモデルには同船の特徴でしたファンネルのスカイラウンジがなくなっています。

資料が少なく定かではないのですが、これは誤りではなく多分1963年に実施された上部デッキ拡張工事(ブリッジの上部デッキにキャビンを1デッキ増設)を受けた際に撤去されたのかもしれません。よく見るとこのモデルはその上部構造が追加された姿です。

何時の時期にこのスカイデッキをつぶし、単なるダミーファンネルに置き換わったのか定かではありませんが確かにスクラップ前の船体にはファンネルだけになっています。

モデルを見てもわかるように最上階のキャビンデッキの追加でファンネルの高さが就航初期よりも相対的に低くなり、わざわざここにスカイラウンジを置く必要がなくなったことは十分考えられます。

1963年なら同社のMマークがこのダミーファンネルについていても問題はありません。

ただ今回この船1番の特徴であったスカイデッキを再現することにしました。

1)2mm角のアクリル棒を12mm長に切断し、中央のファンネル取り付け部分の外形を

  マークし、精密ヤスリでファンネルにフィットするように順次削りながら調整して

  いきます。修正できましたら瞬間接着剤で固定。

       次いで0.7mmのアートデザインテープで窓になる部分をライン状にマスキングして

  からファンネル取り付け部と同色の黄緑(グリーン)で塗装し、後にこのマスキン

  グを剥がすとスカイラウンジの出来上がりです。

  ほんとうはファンネル外周を一周するようにこの窓は続くのですが……

2)デッキフロアーが白1色なのでこれもグリーンとタンで塗り分けます。

3)後部マストの上1/4を(その前にある本当のファンネルの上部ブラック部分とほぼ

  同じ高さまで)黒で塗装。

4)錨を黒塗装。

 

この姉妹船もSS フランスからノルウェイ、サガフィヨルドからサガローズへと改修された時と同様に最上部の公室キャビンの追加工事で当時の船の美しいデザインが微妙に崩れたのが残念です。

オリジナルの姿は次の展示モデル「BRAZIL」を見ていただくと実感できると思います。

オリジナル

改修後

船首部

 

 

中央部

船尾


SS BRAZIL 

ブラジル

上のアルゼンチンの姉妹船ブラジルです。

これが就航当初の姿でブリッジの上には追加デッキは設置されていません。

改修も未着手のままです。

 

 

 

 

後姿

船首部

 

 

中央部

船尾部



American President Line/US NAVY

 USNS Geiger

ちょっと通好みの船を取り上げました。

名はUSNS Geiger 1万1225t。

この船はUS NAVYの兵員輸送船 Barrett Class(T-AP-197)として有名ですが、この船体デザインから見てもお判りのように本来は外洋航路向け豪華客船として建造された船です。

米国歴代大統領の名前を冠した客船群を運航していたことで有名なAmerican

President LineのSS President (John)Adamsとして1949年に建造が始まりましたが、米国政府の旧式船更新を目的とする米国海事委員会(US Maritime Commission)との契約下において建造されたため戦時には米国海軍の戦時徴用船に転用されることは決まっていたのでしょう。

姉妹船にはUSNS Upshur(T-AP-198:SS President Hayes)があります。

ともに徴用後に海軍管轄下の通例に従って海軍歴代将軍の名前に改名されました。

私見ですがこの船のデザインは後に建造された世界最初の原子力商船として有名なNS Savanna:サバンナのデザインのもとになったのではないかと思っています。

就航直後には本格化していた朝鮮戦争への兵員輸送船に改修され、同戦争の休戦協定後も海軍籍にとどまり、キューバ危機、ヴェトナム戦争等の数々のオペレーションに投入されました。

1979年のMassachusetts Maritime Academyに移籍し、海事練習船として最後の余生を送っていましたが1981年に機関室から出火し退役。1983年にスクラップに。

 

このモデルについて

さてモデルはTrident製 1/1250。

オールグレー迷彩の軍徴用船時を彷彿させる姿でした。

Tridentにしてはモールディングも細かいのでここは客船就航時の姿に戻すべく全面的に塗装をし直しました。

まず

1)船体、ハウス及びファンネル等を純白に再塗装。

2)マストやクレーン類をクリームイエローに

3)船倉ハッチをタン系グレーに

4)船窓や操舵室窓を黒で墨入れ

5)デッキ附機類やアンカ-を黒で塗装

6)喫水線以下を1.0mm幅の緑のアートラインで表現

 

このモデルのデッキには海軍徴用船としてゴムボートがあちこちに整然と積まれたモールドがあり、客船/練習船時の姿としてふさわしくないのですが削るのも面倒なのでこのままとしました。

 

迷彩塗装のオリジナル

 

客船時への改修品

 

 

迷彩塗装のオリジナ 

 

客船時への改修品

 



Furness Withy&Co./Bermuda Line

SS Ocean Monarch 

オーシャンモナーク

1951年にFurness Withy&Co./Bermuda Lineによって建造されたS.S. Ocean Monarch  13654総t。

Ocean Monarchという名の客船/クルーズ船は多く存在しますが、この船はCanadian Pacific Steam shipsにより1957年に建造されたよりモダンな容姿の同名船(就航時はRMS Empress of England、1970年のオペレータ移籍後に改名)とは異なるものです。両船共に英国老舗造船所の Vickers Armstrongs社で建造されたので少し紛らわしいといった事情もあります。

1951年に建造された割には近代的な船容を有する同船はNew York - Bermudaクルーズの専用船として15年間就航し、その後何度か転売されてチャーター船として都度名前を変えて短期クルーズに従事しました。

最後は1981年の大規模な改修後にドイツの会社にチャーターされ船名Reina del Marとしてサービスを開始する予定でしたが同年6月に大火災にを起こし船内をほぼ完全に消失して沈没、その生涯を閉じました。

余談ですがTitanicで有名なHarland & Wolff 造船所で建造されたPacific Steam Navigation Co / Union Castle LineのReina del Mar(後日イギリス客船展示室にて展示公開予定)とは異なりますのでご注意を。

 

このモデルについて

モデルはCMKRの1/1250スケールダイキャスト製。

やはり長い間、生産休止状態だったものの再生産されたものと思われます

これも小粒な船ながらモールドは繊細でプロムナードデッキ全周の窓類はすべてスリット状に抜けています。型の痛みからか一部モールドが潰れているところもありますがさほど気になるほどではありませんでした。

塗装はCMKR社の他製品に違わず船体とファンネルのみ。

まずファンネルの赤と黒のストライプの幅が資料写真等と比較して少しバランスがおかしいので下の赤帯を太く修正しました。

次いで船首のクレーン支柱も白ではなくイエローブラウン系に塗装。

問題はデッキの彩色。とにかくカラー写真が少ないのです。しかしYu-Tubeに当時の乗船客の方がとった古いカラー映像(撮影は1965年とされています)がアップされているのを見つけました。

これを見るとデッキはやはり明るいタンのウッドデッキで、ライフボートの淵が明るいブルーのラインを有することも判明。

これらを参考にまあこんなとこかいな?と彩色、墨入れして完成としました。

 

新品オリジナル

 

改修版

 

 

改修版後姿

 

改修版デッキ俯瞰



Grace Line

SS Santa Paula  

サンタポーラ

1958年、米国Grace Lineが就航させた貨客船SS Santa Paula

1万5371総tです。

同ラインが保有した同名船の名を次いだ三代目の船となります。姉妹船は一足早く就航したSanta Rosa。

この船は米国内で建造された最後の貨客船であり、造船所はあの原子力空母エンタープライズを建造し、また現在今年2015年に退役した同船の解体を請け負っている米国老舗シップビルダーのニューポートニューズ造船所でした。

建造においては当時の時勢を反映してSS United Stateと同様に軽量不燃船としてアルミ合金が多様されました。

 

グレースラインは当船を南アメリカ定期航路に就航させましたが60年代になり同社がこの定期航路から撤退するに伴いカリブ海クルーズサービスに振り分けられました。十年以上に渡るサービス提供の後、同船はPrudential Line に売却されますが1972年まで運行停止のままの係船状態でした。

その後、船はOceanic Sun Lineに転売されて名前もStella Polarisと改名し、クルーズ船に改装される予定でしたが結局1976年まで再び係船されてしまいます。

この船をMarriott Hotelで有名なMarriott Internationalがホテル船とすべく購入し、クウェートにおいてホテルサービスを提供すべくユーゴスラビアの造船所で改装されて1989年にThe Ramada al Salaam Hotelとしてクエート市でグランドオープンしました。

しかし華やかなホテル船としての再スタートはイラクのクウェート侵攻(後の湾岸戦争に発展)で暗転します。

クウェート市はイラクのクウェート侵攻により破壊され、同船も爆撃されるに至り2002年にスクラップになりました。

 

このモデルについて

Albatrosの1/1250スケ-ルダイキャストモデルです。

ハウス、デッキが薄汚れたグレーに近い白で塗られています。

不鮮明ながら当時のカラー写真が残っており、それを見ると前・後部甲板、船橋とプロムナードデッキ等はユナイテッドステーツと同様にグリーンであったことがわかります。

またブリッジ近傍下の船体両舷塗り分けラインが大きく下方に湾曲していますのでここも修正が必要でしょう。

改修箇所は以下の通りです

1)グリーン色のへのデッキの塗り分け。

  前・後部デッキのみならずプロムナードデッキ内側もきちんと塗り分けると船体が

  きりっと締まります。

2)前記カラー写真を拡大するとファンネル後部のプールデッキはクリームイエロー

  又は明るいタン、ライフボートトップもタンの様に見えましたので追加塗装して

  あります。

  余談ですがこの配色は姉妹船のSanta Rosaとは異なっている様に見えます。

3)グレーとホワイトの塗り分けはマスキングテープでラインを決め直し、ミスター

  カラーNo.35半光沢三菱系明灰白色に少しグロスホワイト(同No.62)を足して

  ほぼ同じグレーに。

4)船首甲板の塗分けは既存の真鍮線によるクレーンブームを一度引き抜き、塗装後に

  再度付け直すとデッキ塗装がしやすくなります。

  ブームの再取り付け時に角度をほぼ水平に折り曲げて取り付けると見栄えが良く

  なると思い実施しました。

5)ブリッジ上部のレーダーマストが唐突に切り取られたような状況でしたのでプラ材

  やジャンパーツに真鍮線等で適当に付加しました。

 

改修前

改修後

 

 

改修前

改修後



Michigan Ohio Navigation Company

SS Aquarama

アクアラマ

TVシリーズ「廃墟の休日」Blu-Ray版の第6と7話にデトロイトバッファロー地区の巨大廃墟群の映像が記録されています。

車産業で繁栄したデトロイト。話には聞いていたもののこんな姿になっているとは思いもしませんでした。

そのデトロイトのバッファロー港湾地区の一角で朽ち果てていった船。その船がこの SS Aquarama 1万2733tです。

第二次世界大戦終盤の1945年、米海軍(US Maritime commission)のC4型輸送船の一隻、Marine Starとして建造されたこの船は戦後の1953年にデトロイトのサンド・プロダクト社に払い下げられグレートレイク(五大湖)地区最大の豪華客船SS Aquaramaとして生まれ変わります。元々このC4型はAmerican-Hawaiian Lines 向けの貨客船として設計されたものでした。

4つのレストランに2つのボールルームを完備し、2500人の乗客とゲストの自家用車150台を積載出来たAquaramaは19ノットでデトロイトークリーブランド間を6時間で結ぶ豪華客船兼フェリーとしてMicigan-Ohio Navigation Companyにより運行されながらも運航コストの高さから1962年以後はMuskegonやカナダのSarniaで永い係船状態が続きます。

最後はバッファローの港湾地区のドッグに移ってカジノ船としての活用を計画されましたが法的な問題から係船のまま廃船同然に朽ちていき、最後は2007年トルコに回送されてスクラップになりました。

五大湖地区の華やかなりし日々に活躍したこの船の末路にデトロイトの衰退が重なるのかこの地区の人々には特別な思い入れがある船のようです。

 

このモデルについて

Degen/Hein-Mueckの1/1250レジン製モデルだと思います。

Len Jordanよりはディテール感が数段落ちますが希有なアイテムでしたので購入した次第。

船体全てがグレー一色でしたのでC4輸送船時代かと思いましたがディテール自体は客船Aquarama そのものですので1956年の就航当時の赤に暗緑色に白ラインが引かれた船体にするか、もう少し楽な塗装の後年のバッファロードッグでの係船時代、赤にライトガルグレー/ライトブルーに濃緑色のラインとレッドかオレンジのブリッジルームといったカラフルな出で立ちにするか迷いましたが、やはりシックな前者にトライしてみました。

このAquaramaは本当に船体塗装色に組み合わせのバリエーションが多い船でした。

 

オリジナル

改修後

オリジナル

改修後

オリジナル

改修後

メーカー#



Detroit & Cleveland Navigation Company

SS Greater Buffalo

グレーター・バッファロー

1924年にAmerican Shipbuildingで建造された当時として世界最大の外輪を備えた客船グレートバッファロー 7739総tです。

Detroit & Cleveland Navigation Co.による発注で姉妹船Greater Detroitとともに2127名の乗船客と275名の船員、103台の車を乗せGreat Lake(五大湖)航路に就航。

当時最も強力な3気筒エンジンにより駆動された外輪と船尾スクリュー推進によって21ノットの速力でBuffalo~Detroitを結ぶ高速運航サービスを提供していました。

船内設備も豪華さを誇り、客室数は625室。375名収容可能なメインダイニングで供されるGreat Lakeの新鮮な食材を使った食事は有名となりました。

船内の安全設備も当時としては万全を誇り、2重船底構造の船体は16の水密区画に分割され、自動防火扉に自動スプリンクラ-も完備していました。

1942年、海軍に戦時有償取得された同船は訓練空母Sable(LX-81)に大改装され、多くの航空母艦パイロットの育成に活躍しましたが1945年11月に除籍。HHバンチャー社に売却されてスクラップになっています。

 Greater Buffalo

  完成・就役 1923.10.27

  処女航海     1925.03.03

  総t数         7739t

       船体長           163.1m

       船体幅           17.7m

 

このモデルについて

Degen/Hein-Mueckの1/1250スケールレジン製モデルです。

船首部の造形や船体塗装パターンがラフ&ミステイク? そこで精密ヤスリでブリッジの流線形形状や船首の波除等を可能な範囲で切削整形してそれらしくしてみました。

塗装も当時の写真やカラ―ポスターを参考にし3色による船体塗装時に全面変更です。

錨ももう少し下で後方よりなんですが...........

 

オリジナルを船首から

オリジナルを船尾より


修正版を船首より

 

 

修正版を船尾より



Hudson River Day Line

PS Washington Irving

ワシントン・アービング

「スリーピーホラーの伝説」や「リップバンウィンクル」の著者として有名な米国作家の名を冠したWashington Irving、3600総tの外輪船です。

1912年にNew York Shipbuilding Companyで建造された同船は Hudson River Day lineに納入され1913年からニューヨーク市とハドソン川中域の州都オールバニーを結ぶハドソン川往復運行サービスを開始しました。

非常に波切抵抗の少ない細い船体の上に幅広のデッキを張り出すように載せるという独特のデザインを採用し、3気筒エンジンによる外輪推進のみで約20.4ノットの速度と、最大6000名の乗客を乗せることが可能な船でした。

また3本の煙突のうち先頭の一番ファンネルはデザイン上の観点から設けられたダミーです。

船内泊が不要のday service専用船のため、船内は19室のバルコニー付き個室以外は広いラウンジや読書室、ダイニングルームといった公室に充てられ、また公室毎に内装デザインを変えるという凝った造りで乗船客にはより快適な船旅を提供していました。

13年間フラッグシップとして活躍しましたが1926年6月1日の朝、霧の中オールバニーを目指して出港した同船はタグボートに押されて航行していたはしけ船に衝突。右舷エンジン付近の船体に大きな穴が開いた同船はエンジンルームに浸水。船長は直ちに乗船客に船外退去を命じ、乗客は救命胴衣を着け濃霧のハドソン川に。

混乱するデッキ上では専従バンドがジャズを演奏し続け、船客のパニックを鎮めようとしたりとまるでタイタニックの沈没時を彷彿させるようなシーンが。

船はタグボートのサポートで何とか当時まだ建設中だった12番埠頭に寄せられますが着岸の数分後に沈没してしまいました。

残念ながらこの事故で乗船客と乗員の3名が犠牲になってしまいました。

 

Washington Itving

完成・就役 1912.12.207

処女航海 1913.03.17

総t数 3600t

船体長 126.9m

船体幅 26.4m(最大部)

 

このモデルについて

Lloydというメ-カ-の1/1250スケールダイキャストモデルです。

写真の様にオリジナルモデルは同船の外観的な特徴はよくつかんでいます

塗装はファンネルと外輪等最低限のみ。

そこでまず船体は艶消し白で全面再塗装し、デッキもタンで塗り分けました。

その後、船首と船尾のデッキ貫通ポールを立て、ボートデッキに並ぶフラッグポール群も追加しました。片側毎に4本づつ並ぶフラッグポールはもう少し細目の真鍮線を使えばよかったですね。

最後に全面的に船窓に墨入れを施して取りあえず完了です。

 

オリジナル

改修後の船首から

 

 

改修後の船尾から